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筆を折ったら遺書に書くぞ

イラストを描くことについて、努力したのかと言えばそうでもなかった。そりゃもちろん今の画力は努力の賜物であるけれど、上手くなりたいと思って熱心に頑張ったかどうかと聞かれたら、そうじゃないな。気付けば描けるようになっていた。幼児がいつのまにか立って歩けるようになると同じじゃないかな。
よくぞここまで長く続けられたものだと自分でも関心するけど、自分は元々そういう性格だと自覚すれば納得できる。一点集中型。ルーティン人間。最初に手を出したのが絵だったというだけで、何か劇的なきっかけがあったわけじゃない。「ずっと描けるということは、よっぽど楽しいんだね」とよく言われるけど、描くことが楽しいと言うより、苦じゃない。一日15時間以上絵と向き合っていたって、苦痛じゃない。好きじゃなくても楽しくなくても、苦痛じゃないことは続けられる。それだけの話だと思う。残念だけれど、そこまでロマンチストじゃない。ただ、絵を描く才能はあったんじゃないかな。だって365日15時間以上絵を描くってどうかしてる。

「ここまで続けたからには」という気持ちが全くない。自分の中では趣味と向上心はセットじゃないから、自分は何にもなれないと思う。悲観してるんじゃないよ。最初からそのつもりだって話。最初からどこも目指していないし、ただひたすら、やりたいことだけを誰にも邪魔されずに続けたいってだけだ。

とにかく、こう、順位をつけられるということが嫌いですから。中学生時代は柔道部に所属していたけど、大会に出たくないからわざと体重をオーバーさせていたし、高校の文化祭用ポスターも期限内に提出しなかった。文化祭はクラス全体の結果になってしまうので申し訳なかったですけれど、もう2、3年生になると立候補しなくても勝手に任命されてましたからね。競争心もクソもないですから、順位が決められるとなるともう全てのやる気がゼロになっちまうわけで。
だって何も嫌いになりたくない。子供みたいなことを言うけど、好きなものに対して、なんで勝ち負けが必要なのか分からない。ポスターが入賞しなかったらどう思えばいい?入賞されなかったらあたしはどうなる?すごく怖かった。負けるってなに?絵で負けるってなに?なに?何をさせられてるんだろう。そういう舞台だと分かってるけど、3年間ずっと怖かった。小学生の時、ポケモンを描くのが上手だった友達と、上手くなくても好きで描いていた友達の絵が黒板に張り出されて、「全員でどっちが上手いか指差して」と投票が始まったのを思い出した。文化祭とコレは違うのに。友達にはずっと強気なことを言っていたけれど、全部放棄したかった。
あたしが描いた絵なんて誰も覚えてないくせに、順位だけはしっかり記憶してるだろ。クラスメイトの疎らな拍手を聞いたことがあるか?心の拠り所にそんなもん求められたら、絵を描いてる意味ないよ。そういう場だからしっかりしないといけないじゃなくて、そういう場に一度でも立ちたくなかったんだよ。金にもならないくせに。

2024.4.6