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春季希死念慮

春が苦手です。
我々が生きやすい適温な気候だったり、満開の桜だったり、春だなぁと感じるもの全てが不安です。京都は盆地ですから(京都府民なので暑いと京都は盆地だからねーと言うけど、実際盆地がどういう土地である説明できないです。)夏は人を殺すようなほどの暑さで、クッッソ暑いんだよぶち殺すぞくらいの気持ちで過ごせるし、冬は寒いというか痛いので殺して!殺して!という気分になって、脅迫か命乞いで忙しいのですけど。
そういう強烈な感情で過ごせる夏冬に対して、春には穏やかすぎる不穏を感じるんです。少しずつ追い詰められるような、動悸が速くなっていくような。テレビに映った虐待シーンを見せられているような、冷や汗が止まらず、肌を引っ掻き回したくなって、もうやめて!!と叫んでしまいたくなる感覚に襲われるのです。穏やかすぎる不穏という例えにしては虐待シーンは過激すぎるかも。でもそういう、自分とは無関係なものから与えられる嫌な感情のようなものが、春にはあるのです。これが希死念慮というものなんでしょうか。希死念慮というのは漠然と死にたいと願うことらしいですけど、そういうは漠然とした、一生正体の分からない不快感と強迫観念が春に纏わりつくのです。

夕方は永遠に流れ続けるエンドロールを見ている気分になるし、バスに乗ると泡が泳ぐ水の中にいて、Aはべつに赤色ではないけれど、LUCUAというショッピングモールは三角なのです。
秋はなんだろうな。秋に対して何も思ったことないかもしれない。けれど首のないスズメの死骸とか、忌々しい蝉の死骸とか、花が枯れていくから、秋は死骸の秋だといつも思いますよ。

自分でも何言ってるか分かんないし、誰にもわかってもらわなくていいんですけど、友達にこの話をしたら全く聞いてなかったみたいで「あー美味しいよなァ」と言われました。私の話は美味しいらしいです。嘘つけ。


2023-03-01