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ふつうのひと

唐突に子供のようなことをしてみたくなる。急にブランコを勢いよく漕いだり、シャボン玉を吹いてみたり。でも公園で友達とシャボン玉を吹いていると、公園で遊んでいた子供が無邪気にハァハァ言いながら割ろうとするけれど、私たちは見ず知らずの人がシャボン玉を飛ばしていても、人目もはばからずハァハァ言いながら割ろうとは思わない。子供みたいにシャボン玉とかいうしょうもないおもちゃで遊びたくはなるけれど、子供っぽい行動は取らないのだ。でも馬鹿みたいに大きな銃の形の、馬鹿みたいに大量にシャボン玉を飛ばせる電動バズーカーは買いたい。私たちは買うことができる。大人だから。
つまり何が言いたいかって言うと、私は結構無邪気な子供だったという話だ。棒が好きだった。『キラキラアクアバトン』を検索してもらうと分かると思うが、幼い頃はそのバトンに夢中だった。バトンの中に水とラメ(ホログラム?)が入っていて、傾けるとキラキラと光ながらそこに落ちていく。新聞紙を角から細く細く巻いて、固くて握りやすいサイズの棒を作っていたこともある。こだわりの強い子供だったのか、ステッキにはそれほど興味を示さなかったと思う。
とにかくキラキラしたものが好きだった。UFOキャッチャーなんかによく敷かれているアクリルアイスを集めて、箱の中に大切に大切にしまっていた。あとは熊やハートの形をしている少し大きめのクリスタルがUFOキャッチャーの景品として置いてあって、泣きながら両親に強請って3000円も使ってもらった記憶がある。集めるのが好きだったのだ。自分のものになったらそれで十分だった。今も欲しいものにお金を払ったら満足して、ビニールすら開けないということがよくあり、結構怒られている。

雨の日は靴下と靴を脱いで裸足で帰ったし、ブランコで遊びすぎて手の平の皮がめくれたし、部活仲間と川に飛び込んで大はしゃぎしたし、ド田舎の真っ暗闇の中でロケット花火をして火傷をして、中学三年生のときは見ず知らずの小学三年生の子供たちと鬼ごっこをした。今でも近所の神社で中学時代の友達と喋って、友達のタバコの副流煙を有り得んくらい吸いながら、地域猫に友達のように声をかけて無視されて笑って、そういうくだらないことが自分の思い出にあるのがすごく好きだ。
だから今でもハァハァ言いながらシャボン玉を飛ばすのだ。ちなみにこのハァハァは興奮ではなく、肺活量の低下による体力消耗の呼吸である。なんたって大人だから。


2022-09-29