ペンだこちゃん

私は4歳からアトリエ(と言っても子供が通うお絵描き教室みたいなもの。自由に描いていた)に8年間通って、ちょっとずつ家でも描くようになって、中学三年生くらいで狂ったように描き出して、そこからズルズルズルズル……と。ペンだこちゃんも立派に育って、現在に至ります。
ハッキリ楽しさに気付いた!とかそういうキラキラした思い出はないです。どちらかと言えば、小学一年生の時に描いたバイオリンを担任に軍配団扇(相撲の行司が持ってるやつ)だと笑われたり、夏休みの自由工作で作った和紙のりんごを学校に持っていくと、潰れやすいから触らないでと言ったその日に潰されたり。またまた自由工作で作った紙粘土のパイナップルを壊されたり。あとオタクには痛い話だが、中学生の頃に自創作の絵や小説を書いたノートを勝手に見られて笑われたり。そういう嫌な思い出の方がよく覚えています。マァ自分が楽しかったことをすぐに忘れて、嫌なことばかり根に持つ性格だからですけど。馬鹿にされるのも腹が立つけど、芸術的な視点や感性を求められることはなおさら好きではありませんでした。
あとあまり絵を褒められることがありませんでした。高校二年生くらいからやっと褒めてもらえるくらいの画力が身に付いて、グッズなんかも作って、過去に作ったものを見返すとよくもマァこのクオリティで金とったなと。絵も今見返すと酷いですけどね。
褒められることはあまりなかったけど、それ以上に否定されることがほとんどなかったんですよ。むしろ全面的に協力してもらっていました。アトリエも母が勧めたのがきっかけでしたし、夏休みは普段の月収より高く支払って油絵を描きに行かせてもらえたり、誕生日は画材をプレゼントしてくれたり、現在はデザイン系の専門学校に通っていますが、中学三年生時点でその専門学校を受験することは了承されていました。

順調にペンだこちゃんを育てつつ、今も描き続けているわけですが。イラストレーターや漫画家になりたいと思ったことは一度もありませんでした。常に「夢を見るな」と自分に言い聞かせているので、確実でないことを努力してまで頑張ろうとは思わない性格です。話は変わりますけど、ソシャゲでガチャというものがありますが、ああいうのも無料でない限りしないです。ガッカリするのが嫌なわけで、つまりはプライドが高いのです。期待した未来とのギャップが怖くて、だから達観しているフリをして苦労を避けているだけです。
好きはものの上手なれと言うけれど。上手いかどうか判断するのって、誰かと比べた時や順位をつけられたときだと思うんです。でもそうすると劣っているということもよく分かるから、私は絵を描くことを嫌いにならないためにそういうことを避けているのです。本当は高校の文化祭で、ポスターも看板も描きたくなかったのです。期待されたほどの結果じゃなかった時の、あの、パラパラと疎らに聞こえるクラスメイトからの拍手が本当に恐ろしかった。

高校生になってツイッターを始めて、そこそこ見てもらえるようになって、グッズを作れば確実に利益が出るようになって。いつの間にかただ好きなものを描くと言うより、利益になる絵かどうかを考えるようになりました。このイラストはグッズ化したら売れるのか、この絵はイラスト本に入れることができるのか。マァ学校とかイベントとかで両立が難しく、バイトを辞めたのもあって、学生の間は即売会や通販しか収入源がないのでよく考えなければいけないのは当然なんですけど。課題とかグッズとか資料とか、何かのために描くことが増えました。ほとんどがそうかもしれない。何も考えずに好きなことを描いているのは、たぶん自創作の漫画と小説くらいです。あとは全部お金になるか、役に立つか。
ネットなんかを見ていると、よく「数字に囚われないで。一人に見てもらえただけでも嬉しいこと。楽しんで」と励ますような言葉を見かけますが、正直言ってもう「数字より一人に見てもらえだけでも嬉しい」とか言えないのです。そりゃ見てもらえるだけで嬉しいのは嬉しいけど、一人で満足するならネットになんて載せずに友達にでも恋人のでも先生にでも見せればいい。いやそういう話ではないのでしょうけど。とにかく、もう1では満足できなくなってるのです。10も100も1000も、1万も、私は見てほしいわけです!できるなら全てこちらにとってプラスになる視点で!

愚かでしょうか。愚かです。でも私には数字や利益に囚われずに描き続けていた日々が確かにあって、誰に褒められるわけでもなくただひたすらコピー用紙を埋めて、手を黒く染めて、ご飯と風呂以外は部屋に篭って、骨がバキバキになるまで何時間も背中を丸めていた時があったのです。それがきっと私が「絵を描くのって楽しい」と思えていた全てで、この硬く育ちやがったペンだこちゃんが証拠で、それだけはボケたって忘れたくないと思うのです。


2022-7-21