見出し画像

デンタルフォビアな日々・NY歯科事情

年末の話になるけれど、少し前にクラウンが取れた歯が突然細菌感染して腫れ上がり、痛くて何も噛めなくなった。もともと歯医者は苦手な私も、こうなったら仕方がないので、腹を括ってNYU(ニューヨーク大学)の歯学部のエマージェンシー(急患)に行く事にした。

NYU(ニューヨーク大学)デンタルはかけこみ寺

アメリカはここでの保険を持っていない限り、歯科治療費は半端なく高い。(初検でも300ドル前後は普通にかかるし、神経治療とかだと、1500ドルから2000ドルぐらいの相場になることはめずらしくはない。)だから、歯学部の学生がドクターとして働いているNYUのエマージェンシーに行けば、当日の応急処置は75ドルで受けられるシステムだ。そういう意味ではNYUの歯学部およびエマージェンシーは、言わばここでは歯医者のかけこみ寺なのだ。

治療費が安いのには理由が?

ところが、このかけこみ寺には安いなりの欠点がある。まず、壁がパーテーションで区切られている狭い空間がいくつもある状態なだけの治療室なので、他の患者さんの歯科医との会話や治療する音が丸聞こえになる。その意味ではプライベート感は薄い。

フロア中に響く男性の叫び声...

しかも、その日は恐ろしい事に、大人の男性の叫び声が延々とフロア中に響き渡っていた。。(汗)これにはさすがに驚いたけれども、アメリカ人は日本人に比べるとある意味感情表現が豊かなところがあるので、耐えられないと思ったら、大の大人の男性でもあからさまに治療に対する苦痛を表現したりする。彼らは実年齢に関係なく、常に大人はある程度完璧でなければいけない、というような感覚では決して生きてはいないように思う。

目の前の急患よりも単位が大事な学生たち

そして、先に書いたように、歯科医が全員学生なので、勉強中の生徒たちにとっては、私たち急患の患者も一つの練習台っていうことになる。もちろん同じフロアに本物の歯科医である教授はいるにはいるのだけれども、あくまでも生徒たちに”単位”を認定する為の監視役または相談役としてそこにいるだけなのだ。それゆえ”単位”のために日替わりで大学病院の歯学部のエマージェンシーで働いている若い学生たちにとっては、”単位”を無事に取得する為のリスクヘッジが目の前の急患の患者よりも常に優先されることは日常茶飯だ。

エマージェンシーなのにむづかしい治療は予約診療へ

ということは、何が起こるか?というと、彼ら学生歯科医は、治療がむづかしそうな患者の場合は、下手な失敗を避ける為に出来るだけ、自分たちの手を離れた専門分野の治療科での予約診療に回そうとするのだ。そして、専門分野の治療科での予約、というのは、NYUの歯学部大学病院では通常はなかなか取れない。ひどい時は三ヶ月以上も待たなければいけなかったりもする。その日、おそらく抜歯を含む緊急処置が必要だった複雑な私のケースは、見事にこのパターンでの専門科での”予約診療”に回された。

マンハッタンのエマージェンシーデンタル歯科

翌日、痛い歯を抱えて途方に暮れてしまった私は、とりあえず、色々な歯医者を探してみたのだけれども、週末に普通の歯医者で当日予約が取れるようなところはどこにもなかった。なので、高額覚悟で仕方なく恐々 Emergency Dental(救急歯科)の門戸を叩いた。NYでは街にあるエマージェンシー歯科は、やはり、プライベートドクターなだけあり、綺麗なオフィスには、ちゃんと複数の個室が用意されていて、衛生士さんの対応もとてもフレンドリーだった。BGMはポップな感じのロックがかかっていた。緊張感溢れる日本の歯医者のような雰囲気とは全く違う。

デンタルフォビアの街NY

そこの歯科医に事情を説明すると、何とそのドクターは、歯医者で酷い目にあった人に対するトラウマセラピーをNYUの生徒たちに教えている先生なのだと言う。そして、そのドクターは、NYUのEmergencyで生徒にひどい目にあった人たちが僕のところにはいっぱい転がり込んで来ますよ、と笑顔で言っていた。(やや本末転倒?なのが笑える。)このドクターが言うには、アメリカには元々歯医者嫌い、あるいは歯医者で恐い経験をして立ち直れなくなったデンタルフォビアの大人はいっぱいいるそうだ。

常に大人でいることを期待しない寛容さ

先に書いたように、NYUのエマージェンシーで痛みに耐えきれずに叫んでいた大人の男性が普通にいたりすることでも分かるように、歯科治療というものは、大人であろうが子供であろうが、苦手な人は決して少なくはないので、大人であっても強い緊張を感じたり、大きく反応してしまう人がいるということは、ここではごく普通のこととして容認されているのだ。そういう意味では、大人は常に冷静で正しく大人らしくあるのが当然、という期待を持ってしまいがちな日本人とは違い、人間は状況によってはどうにでも変わるし、年齢関係なく、常に大人ではいられないこともあるのだと自然に考えるこの国の寛容さは、私のような出来の悪い大人には本当にありがたい。

プロフェッショナルの気づかい

そんなわけで、突然の抜歯になったことで、完全に硬くなり切ってしまっていた私を見て、エマージェンシーのドクターは、”すごく緊張してるね。全然大丈夫だから、心配しなくていいよ。ただリラックスしててね。”と子供に向かって話すかのような感じにとても優しい笑顔で声掛けをしながら、バックには明るいポップミュージックがかかっている診察室で、その日の抜歯は無事に完了した。

歯科治療や歯医者の雰囲気を最初から苦手と思っている人間にとっては、歯科医や衛生士の人たちが、あたかも機械のように合理的に患者に接する対応は、治療器具のカチャカチャという音にも相まって、ものすごく恐怖心や緊張を煽る。だから、例え相手が大人でも、不安がっている人に対して医師や衛生士の人たちが、子供を気にかけるような優しく柔らかい対応でカジュアルに接してくれることは、本当に心強い。私が言葉が100%分かる日本で歯科治療を受けるよりも、言葉が半分しか分からないこの国で治療を受ける方が、それでもまだ緊張しないでいられるのは、こう言った安心感を感じることが日本よりもはるかに多いからだ。特に歯科治療は、大人でも苦手な人はたくさんいるので、こういう対応を積極的に心がけるプロフェッショナルな歯科医は少なくない。

上手く緊張を緩める事で困難をクリアしようとするアメリカのやり方

これもその一例だけれども、私はこの国の、緊張する場面でこそ、リラックスしたカジュアルな雰囲気を作って個人の気持ちを緩め、物事を前に進めて行こうとを心がける傾向があるようなところは、ある意味とても好きだ。そもそも人間が限界をクリアしたり、何かを達成する上で必要なものは、過度の緊張よりも、むしろ、バランスの取れたリラックス状態だと言うことをここでは多くの人が、本能的に知っているのかもしれない。もちろん、その分違う場面ではガサツだったりいい加減だったりマイペースだったりするところもあるけれど、日本の社会のように、目に見えない同調圧力の中での大きな強制力や緊張感で、みんなが当たり前のように周りに合わせて無理やりきちんとすることで個人を見失ってしまう環境よりははるかに健全なように思う。

だから、たとえ完璧でなくても、ちゃんとしていなくても、全然偉くない自分でも、何とかここでは存在できているようなものなのだと思うと、そういう意味では、本当に日々感謝せずにはいられない。













この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?