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洲崎パラダイス・赤信号 (1956) 日活

川島雄三監督

1963年(昭和38) 51本の作品を遺して
肺性心により45歳で亡くなった川島監督。

川島監督は20代の頃から
筋萎縮症の症状が 徐々に表れ始め
歩行にも多少、障害を有していたそうですが

大学卒業後、難関を突破し入社した松竹では
生活のために プログラム・ピクチャーと言われる
コメディ映画を量産。

その後、日活に移ってから撮った
1956年『洲崎パラダイス・赤信号』 1957年『幕末太陽伝』で
高い評価を得

更にその後、移籍した東宝では 
「この映画を観ずして 川島を語れない」
と言われた 1959年『貸間あり』

そのほか 大映に招かれて撮った
共に1962年『雁の寺』『しとやかな野獣』 など・・・

川島監督にとって
1963年は 非常に脂の乗った 意欲的な時期だっただけに
悔しくてたまらない。

          〇

冒頭、車がびゅんびゅん行き交う 勝鬨橋の上で
「ねえ、これからどうするの」
「どうしよう、どこへ行こうか」

不毛な会話を繰り返す
蔦枝 (新珠美千代)と 義治 (三橋達也)。

ふたりの所持金は さっき煙草を買った
おつりの60円だけ。
とにかくそのお金で 路面電車に乗り
「洲崎パラダイス」の入り口で降りた。

洲崎橋に架かった「洲崎パラダイス」のアーチ。
アーチをくぐった向こうは 赤線地帯・遊郭である。
身を持ち崩した女は「向こう」の女であり
「こっち」は かたぎである。

蔦枝は以前「向こう」の女だった。

ふたりは橋のたもとにある
貸しボート兼飲み屋「千草」の 求人広告に引かれ

蔦枝はその晩から
ここで住み込みで働かせてもらい
義治は 店のおかみさん・お徳 (轟由紀子)の世話で
近所の蕎麦屋「だまされや」の 出前持ちの職を得た。

お徳は 4年前に
「向こう」の若い女と 家を出て行った
亭主が戻るのを 今も待っている。

ところで やっと仕事に ありついたというのに
蕎麦屋の出前持ちなんか・・・と
一向にやる気の出ない義治。

「だまされや」の店員・玉子 (芦川いずみ)や
先輩出前持ちの三吉 (小沢昭一)が 世話をしてくれるが
まったくやる気がない。

一方、蔦枝は 人あしらいの上手さで
店の常連で 羽振りのいい
神田のラジオ屋・落合 (河津清三郎)を取り込み

愛人契約を結ぶと 義治に行先も告げずに
彼のスクーターの後ろに乗って「千草」を去った。

それを知ってショックを受けた義治は
仕事を放りだし 神田の街を
落合と蔦枝の行方を 求めて探し回るが

不慣れな地理や 暑さと空腹のため
二人を探し当てることは出来なかった。

そんな義治を庇い、励ましてくれる玉子の優しさに
義治もやっと 真面目に働きだすが
しかし、せっかくのそんなとき
「千草」にふいと 蔦枝が戻って来る。

「おかみさん あたしね、義治と一緒にいたときは
 落合のスクーターの音を聞くと ぱーっと気分が晴れたの。
 でも落合と一緒になったら 蕎麦屋の出前持ちが
 みんなあのひとに見えるのよ」

そんなとき、お徳の亭主がふらりと帰って来て
いっとき、お徳に幸せが戻ったが
それも束の間、
やがて亭主は 追って来た相手の女に刺されて死に
今度こそ二度と 帰って来なかった。

もう潮時だ。
そう思う、蔦枝と義治。

ラストシーンは ふたたび勝鬨橋の上のふたり。

「これから、どうするの」
「どうしようか、どこへ行こうか」

蔦枝が言った。
「あたし、あんたの行くところへ行くわ」

義治は蔦枝の手をひき 走って来たバスに乗り込む。


 






三船の演技は まるで実際の闇市から乗りこんで来た無頼漢のような生々しさがあった 新宿のやくざが街中で 三船に頭を下げたというのは作り話ではないが それは後の 天下の三船もまだ顔も知られていない まったくの駆け出しだったと言う事にもなる

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