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終着駅 (1953) 伊・米

ヴィットリオ・デ・シーカ監督

デヴィット・リーン監督の名作『逢びき』に匹敵する
メロドラマを創りたいと

『風と共に去りぬ』などの 米の超大物プロデューサー
デヴィット・セルズニックが
イタリアの巨匠デ・シーカ監督を招いて製作した映画。

当時、建設されたばかりの 大理石とガラス張りの
美しい ローマ・テルミニ駅(中央駅)を舞台に
旅人である アメリカ夫人と
ローマで出逢った青年との 恋の別れを描いた作品。
物語りは ほぼこの駅構内で進み 終わります。

そして ペギー・リーが歌った
主題曲「Autumn In Rome・ローマの秋」が
今聴くと懐かしさに 胸が絞めつけられそうに素敵。

          〇

メアリー (ジェニファー・ジョーンズ)は
断ちきりがたい 想いを抱いて
ローマの中央駅にやって来た。

彼女は姉の家に身を寄せて 数日間ローマ見物を楽しんだが
その間に ひとりの青年と知り合い
激しく愛し合うようになった。

青年は
ジョヴァンニ (モンゴメリー・クリフト)という 英語教師で
彼の一途な情熱に メアリーも思わず
夫や娘の存在を忘れるほどだったが
やはり時期が来れば 帰国するほかない。

彼女は 午後七時に出発する ミラノ行きの列車に乗ったが

発車数分前、メアリーの姉から出発を聞いた
ジョヴァンニが 駅に駆けつけて来る。

彼の熱心な引きとめに 
メアリーはよろめくように 列車を降り
この後の列車に予定を変更した。

とにかく駅舎の中は 酷い混雑で
話し合う場所もなく
ふたりは構内のレストランに入る。

「僕のアパートで暮らそう」
「そんな子供じみたことを言わないで。
 私たちは一緒になれない運命なのよ」

激しく愛を訴える ジョヴァンニに
大人の分別で それを聞き入れないメアリー。

思い余ったジョヴァンニは メアリーの頬を打ち
いったんは その場を立ち去ったが
それは一時の激情で たちまち後悔し ふたたび駅にひき返す。

メアリーを求めて 構内を探し回ると
彼女はプラットホームの端に ぽつんと佇んでいた。

ジョヴァンニは夢中で線路に降り
そのとき轟然と入って来た 列車の前を間一髪でかわすと
メアリーを抱きしめた。 

「ふたりきりに なりたい」

ふたりは 線路のはずれに切り離されていた
暗い客車に忍び込んだ。

その嵐のような 狂熱的な愛撫に
結婚以来、恋もアヴァンチュールも知らずに来た
主婦メアリーは 理性を失い

もう、どうなってもかまわないと
ジョヴァンニの胸にしがみついた・・

と、このとき ふたりは公安員に発見される。

そして 不法侵入者として
凶悪犯罪者のように 周囲を固められ
人々の好奇の目の中を 警備室に連行される。

しかし、ふたりの質問への受け答えと 様子から
すべてを察した
人情味のある署長の計らいで ふたりは釈放される。

「奥さん、子供さんのところへお帰りなさい」

今こそメアリーは 
帰国の決意を固めて 列車に乗った。

だが、未だ離れがたく
メアリーの後に乗り込んだ ジョヴァンニは
彼女との別れを惜しむあまり 降りる時期を逸し

速度を増した 列車から飛び降り
無様にホームに叩きつけられた。

彼女を乗せた 列車のテールランプは
みるみる遠ざかって行く。

          〇

やはり、デ・シーカ監督は凄いなあと思いました。

終始、駅舎の中で進行する
恋人同士の「別れ」だけを描いた作品なのに
もうまったく夢中で 惹きつけられてしまう。

駅構内ですれ違う人々
女性を追い回す 好色なおじさん、貧しい若夫婦
ぞろぞろ固まって歩く 牧師の一団なども
実にいきいきと描かれています。

それから この映画は
ほぼ午後6時過ぎから 8時過ぎまでを描いており
映画の進行と 実際の時間の経過が同時進行します。

それゆえ時計の文字盤が 映し出されるたび
列車の発車時刻を思い
観客もなんとなく、はらはらさせられる。

途中、メアリーの甥として
14歳のリチャード・ベイマーが出演。
この8年後が『ウエストサイド物語』のトニー
まあ、子供の成長は早いものですわね。

そしてやっぱり、別れのシーンは
駅、そして去り行く列車が 似合いますね。
余韻の残る 素敵な映画でした。

しかし裏話としては 最後の編集段階で
セルズニックとデ・シーカ監督との間で
創作上での深刻な対立が生じ

結果、この映画は アメリカ版とイタリア版の
ふたつのバージョンが 生まれてしまい

この苦い経験から デ・シーカ監督は この時以来
二度とハリウッドのプロデューサーとは 仕事をしなかったそうです。




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