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悲しみよこんにちは (1957) 米・英

オットー・プレミンジャー監督

フランスの作家 フランソワーズ・サガンが
18歳で書いた 同名小説が原作。

でもこの映画は 米と英の合作映画。
リヴィエラ、コートダジュールの舞台で
英語の台詞が飛び交います。

でもやっぱり、おしゃれで素敵な映画。
タイトルも素敵だし
主人公・セシールの いたずらと本気が ないまぜになった感情
南フランスの 美しさと哀しみ・・・

この映画を観たのは 大昔、20歳前後で
あまり計算したくないけど、55年も前になるんだわ。
感想として はっきり覚えているのは
世界にはこんな十代も いるんだなってことでした。

ブルジョア育ちで、早熟で、小生意気で、
大人の彼氏に、高級スポーツカー・・・
まるで ほかの惑星の女の子みたいに感じたものです。

映画は 現在をモノクロで
後編をカラーで描かれています。

          〇
17歳の セシール(ジーン・セバーグ)と
父・レイモン(デヴット・ニーブン)は
今夜も あるパーティーに出かけた。

モテモテの 父・レイモンは 今夜もまた
違うガール・フレンドがお相手。

セシールもいつものように
すぐにダンスのお相手が現れる。

ハンサムな青年は 踊りながら
「明日は競馬にでもどう?」
「ええ、行きたいわ」

微笑んで答えるセシールだけど
男性の肩越しに見せる 彼女は憂い顔。

セシールの モノクロームが流れる。
「競馬の後は また食事とダンス。
 そして木曜日はテニス、日曜は郊外へ・・
 でもそんなの、時間の無駄よ」

ここで ステージに
歌手ジュリエット・グレコが登場。
「ボンジュール・トリステス」を歌う。

 ♪~ 私はメランコリーと暮らしている
   私の友達は ほのかな悲しみ
   毎朝、目覚めて言うの 悲しみよ、こんにちは

セシールの モノクロームは続く。
「私はまた、幸せになれるのかしら
 もう戻らないの?
 一年前の、夏のリヴィエラの、あの幸せは・・」

ここから物語は 去年の夏へ
画面はカラーへと変わって行きます。

一年前、リヴィエラの別荘では
セシールと父レイモン、
レイモンの愛人・エルザ(ミレーヌ・ドモンジョ)が
気ままなヴァカンスを 楽しんでいた。

朝寝坊から目覚めて 林の散策が済むと
メイドの支度した おしゃれな朝食をとり
そしてみんなで 真下に広がる海に泳ぎに行く。

「冷たい、ビロードのような海よ」

それから日が暮れると 
ドレスに着替えて 街に繰り出す
そんな お祭りのような日々。

ある日、この天国のような暮らしに
レイモンの妻、つまりセシールの母の親友だった
アンヌ(デボラ・カー)が 加わることになる。

実は彼女に気がある レイモンが
こっそり呼び寄せたのだが・・

やがて、レイモンがアンヌにプロポーズ。
セシールはふたりの婚約を 祝福したけれど

あのとき何故か、
もうじき あの幸せが終わるような 予感がしたの

エルザは当然、別荘を出て行き
そして、その頃から 次第に口うるさく
早くも母親のような態度を取り出す アンヌへの反抗と
父をとられた嫉妬を 感じるようになるセシール。

「私はもう子供じゃないのよ、
 私に命令出来るのは パパだけ!」

常識人のアンヌは パパまでつまらない男に
変えようとしているのよ。
アンヌが来るまでは あんなに幸せだったのに・・

やがてセシールは
アンヌを追い出す策略をめぐらす。

それはまるで 遊びの延長のような
無邪気な計画だったのに
思ってもみなかった 恐ろしい結果を呼んでしまったのだった。

あれから一年経った。
今もセシールは
お酒に、男の子に、スポーツカーに、夜ごとのパーティー

けれど今夜も 彼女は呟く。

「今の私は 思い出の壁に囲まれている。
 忘れようとしても 心によみがえる あの夏・・・」

 ♪~ 私は悲しみという道を歩く
   私の家は住所がない
   自分宛ての手紙の書き出しは 悲しみよ、こんにちは

          〇

1957年、オットー・プレミンジャー監督に見いだされ
『聖女ジャンヌ・ダーク』でデビューした
ジーン・セバーグでしたが この映画が興行的にも批評的にも失敗。

翌年、長かった髪をばっさり切って
ふたたび、プレミンジャー監督のもとで
撮った作品『悲しみよ、こんにちわ』で 今度こそブレーク。

セバーグは一躍、人気スターとなり
劇中の彼女の髪型は
「セシール・カット」と呼ばれ 一世を風靡しました。

また、中でも この作品に感銘を受け
セバーグに大いに魅せられたのが ジャン・リュック・ゴダール監督で

この二年後の 監督初の長編映画
『勝手にしやがれ』のヒロインへと繋がり
ヌーベルバーグの 寵児となりました。

しかしこれほど
世界的大ヒットした 2作品を持ちながら
何故か、その後は ヒット作に恵まれませんでした。

いろいろなことが あったのでしょうね。
1979年、セバークさんは40歳で自死されました。








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