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【過去の思い出】文通してた人に会いたかった

大学生の頃の時代を旅しているような感覚になっていたことがたびたびあった昨年。だからその頃の苦い過去の出来事を整理するためにnoteを始めたのですが。

そのきっかけとなった後輩に36年ぶりに会うために5月に四国へ行くと決めてからいろいろなことがトントン拍子で動いて行きました。

ひとりで行こうと決めた旅だったけど一緒に行きたいと言ってくれる人が現れ、さらに行ったことないから行ってみたいとまたさらにふたり増えて、4人で行くことになりました。

私自身も四国は初めてなのでワクワクと不安が入り混じっていたので旅の仲間ができてからはワクワクと楽しみでいっぱいです。

どんどん計画がスムーズに進んで行くのは今がタイミングだからなんでしょうかね。

会いたいと思ったら会いにいく。しかし相手あってのことだからそんなに簡単なことことじゃなく、スケジュールの調整もだけど自分の気持ちだけでは突っ走れない。

一期一会を大切にしたいと思ったのはやっぱり過去に後悔したことがあるから。

過去にタイミングを逃してしまって未だに会えてない人がいます。今でも時々後悔している会いたかった人のことを思い出したので書き残しておきます。

小学校5年生か6年生の頃文通が流行っていました。月間雑誌の後ろのほうのページに「文通しませんか?」みたいなコーナーがあって同級生の女の子がその雑誌に載せてもらったら全国各地から文通を希望する手紙が届いて全員に返事しきれないからと1通の手紙を私に託されました。

その手紙は沖縄に住んでいる女の子からのものでした。

私は早速その子に自己紹介兼ねて手紙を書きました。返事が届きました。その子はリっちゃんという子でした。手紙を出した時期がちょうど年明けで4月から学年があがるくらいのタイミングだったと思うのだけれど同い年かと思って手紙を書いたらリっちゃんはひとつ下でした。

それからずっとやり取りは続いて会社勤めして残業三昧になってしまって手紙を書く時間がなくて、年に数通しかやり取りできなくなっていたけど結婚するよって話まではしたような記憶があります。

だからかれこれ15年くらいは手紙のやり取りをしていたのです。まだパソコンや携帯なんてなかった時代。でも、いつの間にか音信不通となってしまいました。

今となってはどんな内容の手紙を書いていたのか全然思い出せないけど、実家を離れて関東の大学へ進学して卒業して就職をして。それでも手紙は続いていました。

悩み事とか、彼のこととか、付き合い始めのこと、ケンカしたときのこと、別れたこと、などなどたぶん誰にも話せないようなこともリっちゃんには書いていたから、会ったことなくても青春時代の悩みを打ち明けあった親友のような存在でした。

だから、いちどは会いたいなと思ってある時思い立ったんです。

大学3年生の夏休みの時、りっちゃんに会いに沖縄へ行こう❢って。

友だちに
「沖縄へ行きたいんだよね~」

って話をしました。

文通している子がいるから会いたいんだよね

ってことは言えなかった。

沖縄行きたいって言ったらまわりにいた友だちほとんどみんな

「国内旅行より海外旅行のほうが今は安いんだよ」

「沖縄行くならグァム行こうよ。」

80年代半ば
バブリーな時代でした。

で、その誘いに流されるまま
友だちとグァム島へ行きました。

それが私の初めての海外旅行でした。

この時に沖縄行きを逃してしまってから、私はまだ沖縄へは行ったことがないのです。

一生に1度は訪れたい場所。

まだ見ぬリっちゃんにもいつかお会いしたいとずっと思っています。

彼女の故郷は今帰仁村
文通してた頃、読み方すらわからなかったけど、大人になってから「なきじんそん」と読むと知りました。

リっちゃんも高校卒業する時地元を離れて那覇にある短大へ進学したんだよね。就職する時、本土へ行とか書いていたような気がするから、今はどこにいるのかぜんぜんわからないのですよね。

時々無性に会ってみたいと思ったり、会えないかもしれないけどいつか沖縄に行ってみたいと思うのです。

そんな過去の後悔が今の私に会いたい人には会いに行きなさいと背中を押してくれるのだと思います。

会いたい人がいるって幸せだよね。



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