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ゴンドラ

「なあ、死ぬ以外で死んだ奴はおらんのかって。あの仰向けのキンキンの冷温の状態にならんで死ぬが叶った奴はおらんのかって。いや長い長い歴史の蓄積のやな、まあやからベンド生物でもシダ植物でもなんでも含んでええわ、それでも含めば含むほどあかんで、厳しくなるんやから。まあそん中のやな、全部が全部綺麗に頭から落として、出入りがさっぱりなくなって、バタンなって硬質になって死んできたんやってそんな意味わからんことないやろって私は言ってんの。なんで命がただ抜けるんや言うて、その一通りしか絶対的にないんやって、そんなん信じられへんやんか。そうや、例えばやな、命が二個入ってしもうたらどうなるんよ、そう、何かの拍子にな。突然な、或る日を超えて突然な、朝と一緒になってさあってぼわって差し込んで、気いついたら増えてて、増えてるってなんと二人が思ってて、隣り合わせかと思ったら同位でおって、これは死ぬにはならへんのかって。一個に二個住んでておかしいやろって。一緒に住めへんやろ。共倒れやろ。いや、やからな、こんだけのしょうもない妄想の話がしたいんと違うから。こんな私の即興の例で隅々まで分かってほしいなんか一切思っとらんから。例なんかいくら出しても出した途端ぜんぜん図工と違うねんな。要はやな、要はやな、繰り返すけどな、死ぬ以外の死ぬがなんで一回も起きんで私まで、なんか生命が私まで行き着いたんやって、無数のチャンスをすりすり抜けてここまで無傷でなんで来れたんやって、なんの冗談なんやって思わへんの。死ぬをなんで当たり前のように目指して行ってんの。もっと色々あるできっと。これは生きんかい言うてんとちゃうで、死ぬみたいな同類の同質の終わりがもっといっぱいあるやろって言ってんのよ!なあ、私最近気づいたんよ。気づいたっていうか気付かされたんやけどな、接続しそうなんよ。自室で微睡んで寝そうになっとっただけやねんけどな、そういうなんかな、肉体とか精神とか生死に拘いそうなまとまりの物々を飛び越えたところのな、だだっ広いだだっ大きい終焉の含め煮みたいなんにな、今にも繋がろうとしてたんよ。それでな、繋がろうとする時にな、一回その繋がった先のヌシって言うんか、あの支配的なでっかいもんがちらっと見えてしもうてな、完全に取り込まれてしもうてな、いや唯一の一度やで、私はまだ私なんやけど間違いなく、そんでもうその甘みというか死以外や!っていう驚きの巨大さ厖大さゆえの完全感うつくしさそのものというかそんなんがずうっと拍車かけて襲って来てんねんか。これ、私、どうすればいいんかな。そうや、始まりと終わりってあるやんか、芽吹きと枯れとか創造と破壊とかのあれ分かるやんな当たり前やんな、私言葉あんまり知らんからさっきからこうやって死ぬの話してて終わりってな言葉ばっか頻りに使ってもうてるけどな、これすら怪しいねんな。これすら一律に無力化されとる気がすんねんな。言うたら始まらず終わらずで生死なし、いや無しでもなくてやな、展開とか乗り換えとかの類のスライドよ、そういうことわりをずうっと想ってんねんな。なあ、私は死ぬんかな。あんたは死ぬんかな。私な、死ぬってこと全くもって強がらんでも嫌でも怖くもないんよね。いや違ったわ違う、嘘々嫌ではあって、確定して嫌ではあって、なんでかって言ったら、まっすぐ悔しいんよね。お亡くなりになってガチガチに成型された墓入って、あれ体が硬い人に配慮してないやんな、んで年一か以上か子々孫々に参られてナイスなタイミングでにこにこして、ああ見てくれとんなー言われとるの黙秘して聞いて、それが馬鹿みたいで悔しいんよね。もし私がさ、もし死と全面的に闘ってやな、負けず嫌いを遺憾なく発揮してやな、死なんで死んだったらもう人型の革命やんか、天地のロックやんか、まあそんときはもうよく生きた!とかいう感慨も自体もないねんけどな、生きとらんねんから。で、もしそうなった暁にはな、私たぶんゴンドラをぐるぐる回ってな、観覧車をぐるぐる回ってな、観覧車もぐるぐる回ってな、宇宙をいっぱい経験していけると想う。やからな、キリがついたらこれもあんたに漏れなく話したるわ。」

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