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陳列

実の生る日を願って駅近のアーケード街をうろついていた。一日を充実させようと真に思うならば、普通は前日の就寝時にでも、あそこの和菓子屋で石衣を買ってみようとか、再上映の戦争映画を見てみようとか、具体的なあれこれを巡らせるべきなのは知っている。知っていて、何も巡らせなかった。たぶん私には他人よりも、考えをするのにはっきり適さない夜というのがある。そんな夜には考えたいことが極限の傾らかさを誇る丘の上にあって、眼前には白んだ塵の塊が立ち撒かれていて、私はそこを全力で突き抜けようとして、案の定拒まれる。出店の綿菓子のような見た目にして重苦しい灰燼はどこから来たのか、なぜ来るのか、そういった発生源の諸般のことを私は考えずにいた。この衝突のたびに私は自分の想像力を担っている海鼠腸に似た脳部位を閨の戸からこっそり抜き取られてしまう想像を繰り返していた。

同じ様式の石畳が途切れて、アーケードを抜けたことに気づく。適当に昼食は済ませてしまったから飯屋は無視するように予め手配されていたし、決め打ちのお店も無かったということで、一通り往路分の後悔をするしかなかった。昨日届いた黄ばんだ本の山に片をつけるなどしたほうがずっと実りがあった、と文庫本を一冊も携えなかったこともまた悔いる。踵を返す。その回転にすこし違和感があって、ふっと膀胱がゆるんでいくのを私は感じる。

不運にもこの辺りのトイレといえば、私が覚えている限りアーケードの入口のそばに公衆便所がぽつんとあるだけだった。やってきた道の不確定な長さを思うと憂鬱だった。重戦車の足取りで道を急ぐ。

公衆便所のことを極めて下劣な場所だと隠れて思っていたようだ。中流家庭で育った私は、お手洗いの本意を教え育てられてきたわけで、だから常に気張っているというほどではないけれど、身に染みて正しく振る舞えていたのだと思う。それでいざ大人数が使う、しかも野外の「便所」に入ろうとすると、何度目にも僅かに抵抗を感じるのだった。

十五時前。茂みのそばの公衆便所は一律に無視されていた。こういう施設は、必要とする人の前にだけ現れて、必要としない人の前では、景色と同化することさえもしない。ただし実際は薄気味悪く、まさに野生といった感じで凄い悪意を醸してくるのだ。そういうわけで、公衆トイレはタチが悪い。そこにずんずん入っていく私もまた夾雑物で、悪意を持った妖精で、タチが悪いのだけれど。

個室に流れ込んで驚いた。勢いのまま座ろうとした便器の中に何かある。ラムネの瓶だった。飲み干されて、ビー玉がからんと残っていて、透る水色のラムネ瓶が一本。レバーひとつで大概のものは地下へ流れてしまうけれど、ラムネ瓶はあの不明な水溜に、あっけらかんと浮いている。私はいったん尿意を後ろにこらえて、まず想像する。「慎重に着座する。瓶の口を避けて排泄する。ラムネ瓶があること以外はまるで問題なく、然るべき動作が進んでいく。そうして、ついにレバーを上に回す」

私は他の個室を覗いておいた。三つの個室すべてにラムネの瓶が、瞬きとそこにあった。地続きのタイル伝いに何かが伝染している、そういう感覚を持った。整列した紋様に騙されるように私は中央の個室に入り、ついにラムネ瓶の口をめがけて放尿した。ビー玉が調和の音を立てた。溜まって、ゆっくりと確実に、瓶の柔い青さが失われていった。無人の家に忍んで団欒の邪魔をしている気持ちだった。事後、私はよろめくように立ち上がり、レバーを上に回す。ラムネ瓶は濁流の揺籃のなか、あの数秒、絶えずもがき、何度もがこんがこんと便器の曲線に打ち付けられて一定の音階で鳴った。最後には、嵌りどころが悪かったらしく、ラムネの瓶はたった一流しの水に壊滅された。私は立ちつくして、便器のうっすら傷ついているのと、ラムネ瓶の割れているのと、自分の尿の飛び散っているのとを初めて見た。豚に真珠だと思った。しばらくして温度が下がり、私はごく冷徹な手際で清掃作業を黙々おこなった。

それからは何もしないで一直線に家路を辿った。住宅街の電柱をひとつひとつ丁寧に触りながら、誰にも気づかれないように、しかし誰かに気づいて欲しそうに帰った。久々に人と話したいと思ったのだ。初夏の雲が高い。私は想像力の器官を確かに抜かれたのだと思う。あれからずっと、二つ遺った瓶の顛末が気がかりでいる。

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