かぞくのこと

先日義祖父が亡くなった、と先ほどの記事で書いたのだけれど、
私たち家族が到着したのは、亡くなったすぐあと。
施設に入居していて、その部屋で亡くなり、医師の死亡確認が行われたのはわたしたちが到着してからだったので、その一部始終に立ち会うこととなった。
そういう場に立ち会うのは、そういえば初めてだったと思う。

まわりはみな泣いていた。
義両親、義姉、義父の妹、そして担当してくださっていた介護士さんも。
義祖父の直接の子や孫はともかく、義母も泣いていたのを見て、ああ、いいおじいちゃんだったんだな、としみじみ思った。

わたしと義祖父の思い出はそう多くはないけれど、結婚の報告をしにお邪魔した時や、結婚してしばらくは家で暮らしていたため、何度か会ったことはあった。
耳もだいぶ遠くなっていて、口数も多くはなかったが、「●●さん(わたしの名前)、ゆっくりしていってくださいね」と声をかけてくれたことが懐かしい。
ただでさえ義祖父にはたくさん孫がいるのに、そのさらに配偶者の名前を憶えてくれているなんて嬉しいな、と思った。

夫の家族は同居だったので、夫も高校を卒業するまではおじいちゃんも一緒に暮らしていたはずで、きっといろんな思い出もあったことだろう。
おじいちゃんに会いに行く日、仕事を早退して帰ってきた夫は涙目で、おじいちゃんと対面した時も泣いていた。
普段はあまりおじいちゃんのことを話題にすることも少なく、また、おじいちゃんが施設に入居してからは、いまだに面会の条件が多少厳しく、予約が必要だったりしたこともあって、会いに行くことができずにいた。
私としても心残りである。

そんな状況を目の当たりにしながら、心がすさんでいる私は、自分の家族がだれか亡くなったとき自分はこんな感じになるんだろうか、なんてことを考えてしまった。
とりあえず、父方祖母についてはほぼ間違いなく泣かないだろう。
幼少期より母から愚痴のようなものを聞かされてきたし、実際に孫をすごくかわいがるというような人でもなかったため、ひとえに思い入れがない。

母方祖父母は、大学生くらいの時までならショックだったかもしれないが、いろんなことがあって、正直おなかいっぱいと思ってしまうことがある昨今、たぶん何があってもそれなりに冷静に受け止めるだろうなと思う。
両親についても・・・うーん。正直・・・という感じである。

むしろ、いつかその時が来ていろいろ手続きとかもろもろあるんだろうなと思うと、大変そうだと気が重くなる自分がいて、我ながら薄情すぎてちょっと引く。
どんな感情を抱くかは、その時が来ないとわからないとも思うけれど。

といった感じなので、義祖父の逝去に対して私も涙こそ出なかったものの、悲しいという気持ちになったことはある意味救い(?)だったかもしれない。
こういう感情は自然と湧き出てくるもので、悲しもうとか思うものでもないだろう。

いろんな人に相談したりすることが増えた最近でも、やっぱり家族のことを客観視するって難しいなと思うことがあって、私やっぱり愛情の搾取だったんだろうか、とか、薄情すぎてやばいやつなんだろうか、とか思ったりすることもたくさんある。
たぶんこういう葛藤は多かれ少なかれあるのかなと思うけど、まあ一生家族と今と同じ関係が続くわけではない。
最近相談した人にも言われたが、「世代交代ってあるからね」と。
だからまあ、もしかしたらそのうち解放されることが来るかもしれないし、と思っていたい。

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