幸せの定義
ここ数日、しつこいくらいに実家と義実家のいろいろを書き綴っているけれど、その中で自分の幸せを感じる瞬間について、無意識に考えていた。
幸せの定義は人それぞれだと思うし、たくさんあるとも思うのだけど、やっぱり、少なくとも人間関係が満たされている時は幸せを感じられるのだなと思った。
特に、家族関係が満たされていることの尊さを日々感じている。
産休まで、仕事をしていて心が荒んでいたことも多かったけど(仕事ではとりあえず人間関係がしんどかった)、産休に入り、仕事をしなくてよくなったことはもちろん、マタニティフォトや義実家で充実した時間を過ごして、精神的にだいぶリラックスできていると感じる。
義実家であたたかく出迎えてもらったり、義両親や義姉たちからあたたかい言葉をかけてもらったり、ベビのことに一生懸命になってくれる姿を見て、本当に幸せだと思った。
多分義実家は、今日の義父との電話でも感じたように、わたしに対して、家族として接してくれているのであり、特別なことをしているという意識はないんじゃないかと思うけど、(押し付けがましさはなく、本当に自然な感じであるため)わたしにとってはそのひとつひとつがありがたいものに感じる。
そして夫も、お腹のベビにたくさん話しかけてくれる。
とある赤ちゃんアイテムについて、ベビが身につけたらかわいいだろうな、見るのが楽しみ、と言ったり、
小学校の入学式の話になった時、多分自分泣くから写真撮影よろしく、なんて言ってきたり。笑
(夫が涙脆いのは知っているけれど、入学式で泣くんなら卒業式はどうなるんだ。笑)
夫は、愛情表現は比較的豊かではあるが、ベビに対して注いでくれる愛情を実感する時もまた尊い。
甥っ子のこともそれなりにかわいがっているイメージはあったが、実際わたしたちの子を授かったのは初めてであり、ああ自分の子となるとこんな感じなんだな、と発見の連続である。
わたしは友達も大好きだし、この友達がいてよかったと思うことは、人生の中でたくさんあるけれど、(というか、これまでは、実家で辛いことがあったりしても、友達がいたからこそ救われたと思うことも多かった)
家族に満たされるのは格別なんだな、ということを最近しみじみ感じている。
家族が全てではない。
それは何より私自身が理解していることだけれど、でもやっぱり、自分にとって、家族という身近な場、土台が安定していることって大事なんだと改めて感じている。
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