見出し画像

炎症みたいだよね

会社のトイレの窓から見える外の景色が好き。
働いている私を置いてきぼりにする無関心な街が外にある、というのが分かって。
普段見上げることもなさそうなアコムのデカデカとした看板も、隣の家の荒廃した屋上も、建物の間から小さく行き交う車も。
トイレの窓は東についているけど、会社から出たらどの方角なのかも曖昧になって、それが良い。
会社から出るとその街がどこにあるかなんて全く分からなくなる。

最近くたくただ。
他の人が気にも留めないようなことが気になって。急ぎの仕事を処理できる人が、簡単な業務に捕まってしまっている時のもどかしさとか、人がいないからできない現場管理とか、攻撃的な人が言う言葉の中の正論性とか。
誰も悪くない、と口にするたびに誰が悪いか探してしまっている自分の意地悪さとか
隣の部屋でタイピングする夫の出す音とか。
全部自分が対応しなければならない気がしてしまって、心がヒリヒリする。

私の中の人に良く見られたいという部分が擦り傷みたいに痛む。
仕事を終えたときに達成感なんてない。
やれたことよりももっと上手くやれたのかもしれない部分ばかりが視界の端にチラついて、そのことで頭がいっぱいになってしまう。
TwitterもインスタもTikTokも日記アプリもLINEの個人グループも紙に書いてる日記もメモ帳も手帳も全部がチクチク刺さる服のタグみたいな些末なところばかり

全部お焚き上げしたいな

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?