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私の生い立ちをお話させてください。

私は3人兄弟の末っ子として生まれました。
兄、姉、私です。

6歳上の姉は、知的障害がありましたが、父は仕事がとても忙しく単身赴任をしていた時期もあったので、母はワンオペで家事育児をこなしていまいた。
兄とは10歳離れていたので、一緒に遊んだ記憶はほぼないです・・・。
知的障害のある姉は度々、てんかんの発作を起こしていた記憶があります。でもとっても心の優しい姉でした。

手がかかる姉の為に、私に寂しい想いをさせまいと母は気を遣ってくれてたんだろうなぁと今となっては思いますが、私が寂しい想いをした記憶はありません。

姉の入院に付き添って母がいなくて、代わりに祖母が来てくれたこともありましたが、特に寂しいなんてことはなく・・・(当時は思ってたのかな)

のほほんと過ごしていた幼少期ですが、、、私が9歳の時に、事件は起こりました。

その日はクリスマスでした。
サンタさんからもらったスーパーファミコンで、1日中遊んでいた12月25日の夜。

「もうお風呂入りなさい」の母の言葉で私は姉とお風呂にはいりました。

お風呂に入りながらもスーパーファミコンの続きがしたくて仕方なくて、先にお風呂をあがった私。

私が上がった後しばらくしても、出てこない姉を心配した母が、お風呂場に見に行くと、、、

浴槽の中で姉が倒れていました。

入浴中にてんかん発作が起きて、お風呂の水を大量に飲んでしまったんです。

すぐに救急病院に搬送されました。

母が病院につきっきりになるから、電車で2時間かけて祖母が家にきてくれました。


そこから地獄の2日間が始まりました。
病院につきっきりの母と父。

家の中は暗い空気。

祖母と私で過ごす時間。

兄はもう19歳だったので、一人でお見舞いに行っていたのかもしれません。

母に連れられて病院に行く車の中で、落ち込んでいる母に向かって

「あ!回転すしいこうか!」と元気に声をかけたことに、ドン引きされたのを覚えています。
私なりに精一杯に母を励まそうとしたんですが、母は「あぁこの子はわかってないんだな」と思ったそうです。

治療の甲斐なく、姉は12月27日に息を引き取りました。
街中は年末の気分に浮かれて、足取り早い往来、時間の流れも速い・・・・そんな中、私達家族の時計はパタリと止まりました。

母は毎日泣いていました。家に帰ってきた姉は、顔色がほんのりピンクで、涙を流していたのを覚えています。本当に生きているようでした。

今、自分に子供がいますが、我が子を亡くす痛みは、計り知れないです。
自分の死に値するくらいの、胸をえぐられたような痛みを母も抱えていたんだと思います。
姉が通っていた中学校のお友達がお葬式で、わんわん泣いていて、どれだけ愛されてたのかを改めて知りました。知的障害があり、人とは違うのかもしれないけど、心優しい姉は、周りのみんなに幸せを与え続けた存在だったんだと思います。

当時、私は小学3年生でした。

姉が亡くなる日前後の記憶は鮮明にあるのに、それ以降、4年生らへんの記憶がほぼないんですよね。

母は、心は常にぽっかり穴が開いたままだったと思います。きっと今もそうだと思う。

でも、必死に私に全力投球してくれました。

幼少期から末っ子の私を可愛いね、賢いねと溺愛してくれた母は、姉がいなくなってからは一層、私に時間も愛情もかけてくれるようになりました。


長くなりましたが・・・
生い立ち2に繋ぎます。


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