Shangazi ya mume (夫の伯母)


タンザニアに着いて直ぐに向かったのが夫の伯母(写真左)の家だった。「ジャスミン、カリブ サーナサーナ」
ジャスミンよく来てくれたねと大歓迎の伯母さんがハグしてくれた
第一印象からして優しい伯母さん
言葉が分からないのに初めて会ったのに(お互い写真では見ていたが)まるで自分の子供の様に涙して暖かく迎えてくれた夫の家族凄い☺と心から感謝した

その様な経験から私の中では1番大事な伯母さんとなった。
スワヒリ語(タンザニアの共通語)を話せる様になると良く1人で伯母さんとこまでダラダラ(乗り合いバス)を乗り換えて
2時間かけて遊びに行っていた。


伯母さんは目が見えずらく頭痛もすると言うことで病院をドクターショッピングをしていた。ムヒンビリ国立病院で脳腫瘍であると言うこと開頭手術が妥当と言われ、伯母さんの長男(オーストラリア在住)がタンザニアでの治療を拒み伯母さんをオーストラリアに呼び寄せた。

左側伯母さんと孫のJumaくん

オーストラリアでは脳腫瘍を摘出した後孫のJuma君と2人で良く散歩をしていたそうだ。Juma君はオーストラリア生まれで英語しか話せなかったがおばあちゃんの為にスワヒリ語を話せる様になった凄いお利口さんで伯母さんも良く私に電話してきて喜んでいた。

約半年のオーストラリア滞在で回復しタンザニアに帰ってきた....筈だが完治とは行かず頭痛で苦しんでいた。

日本に帰国した私は年に1度タンザニアに帰っていたが子供達よりも伯母さんに会わないと気が済まない私に夫も呆れていた。

去年1月武漢風邪がと騒がれた1月半ば私はタンザニアに帰国していた。
伯母さんに毎年恒例のお土産洗濯バサミ(中国製は直ぐに壊れるので100均のでも充分長持ち出来る)に大喜びしてこれは私専用だから!とお手伝いさんに注意していた(笑)
とにかく大笑いして楽しい時間で身体には充分気を付けてね!と念を押されていた。

その2ヶ月後タンザニアでもコロナの発症者が増えていた時夫から電話で
「伯母さんが危篤だ」
私はショックで腰を抜かし夫は忙しいと直ぐに電話を切った。

心を落ち着かせようとFacebookを見ていたその時
私達家族のBOSSが亡くなった
と伯母さんの死を嘆く投稿を
見てしまった
え?危篤ではないの?と混乱した私は夫に電話するが出てくれず

日本に住んでいる甥に連絡した
「伯母さんの病状はどうなの?」
甥は昨日亡くなったよ?知らなかった?

私は夫の嘘に傷ついて伯母さんの死に嘆いて夜中なのにオロオロとアフリカ人の嘆きの様に1晩中泣いていた....

次の日夫から電話があった

「あなたは伯母さんととても仲が良かったのでショックを与えるしあなたの病状が悪化するに違いないと思って」

有り得ない遅く伝えればショックはないのか?😤文化の違いか分からないが直ぐに教えるべきだ!!😡と憤慨し夫に2度と無いように約束させた

そして時期が時期だった為伯母さんのPCR検査をしてコロナの有無を確認して埋葬された。
イスラム教徒が亡くなると同姓がご遺体を綺麗に清めて早急に埋葬しなければならない。もしPCRが陽性ならばお別れもせずに埋葬されていたのでみんな家族がお別れできてよかったと思う

もうすぐ伯母さんの一周忌
血が繋がらずとも娘の様に
優しく時に厳しく心から愛
してくれた伯母さん
実の母親との縁が薄い私に
とって母親のような存在の
伯母さん心の拠り所である
伯母さんにとても感謝している

そして実の母親にも
歩み寄って行こうと思う
この様な当たり前の事
さえ出来なかった私を根気よく
諭してくれた伯母さん本当に本当に
ありがとう🙏












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