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政治評論家田中康夫 ブレずに鋭く切り込み続ける男の人生

政治評論家といっても、政治家の秘書や大学教授、新聞社のデスクなど様々なところから転身ができます。しかし、政治や行政の世界を知ってから政治評論家になるのとでは、色々と違いが鮮明になるものです。元々は作家として活躍し、後に県知事や国会議員、政党の代表を務め、現在は政治評論家として鋭い考察を行っているのが田中康夫さんです。

今ならばインテリ枠の文化人として

田中康夫さんは1956年4月12日生まれで、2021年で65歳になります。子供の頃に父親の職場の関係で長野県に引っ越し、学生時代を過ごします。勉強はかなりでき、特に英語は模試で全国3位と高い能力を見せます。その後、浪人生活を送り、1976年に一橋大学法学部に入ります。この大学時代に執筆していたのが、「なんとなく、クリスタル」です。まだ一橋大学の学生だった田中康夫さんの処女作であり、売り上げは100万部を突破。小説でありながらかなり細かく分析が行われ、当時の流行がしっかりと読み取れるため、小説の中身よりも、田中康夫さんの文中の解説の方に注目が集まりました。

サラリーマンになろうとしていた田中康夫さんは一度は会社員になるものの、「なんとなく、クリスタル」が人気になったことで3か月で退社して作家としての道を歩みます。今でいう文化人としてテレビに出演し、当時の人気番組だった平成教育委員会では、常に正解していき、どれだけ正解しても全く驚かれない状態になります。いわゆる「インテリ枠の文化人」として扱われた田中康夫さん。そんな田中康夫さんの気持ちが大きく変わるのは、阪神淡路大震災の時でした。神戸を題材に小説を書いたこともあり、神戸が地震で大きな被害を受けたことに衝撃を受け、ボランティア活動に精を出します。そのボランティア活動の中で公共事業の問題を知るなど、市民運動に参加するようになります。このことが田中康夫さんを政治家の道へ引き込むことになっていくのです。

激動の県知事時代と国会議員時代

市民運動に熱心に取り組んでいた田中康夫さんに対し、長野県の市民団体は2000年に行われる長野県知事選への立候補を打診します。権力の外側で意見を言うのが自分に合っているのではないかと考えていたものの、知り合いから背中を押され、立候補を決めます。オール与党状態で支援が入っていた人物が当選するのでは?と言われていた中、長野オリンピックのお金の動きで何かと問題が起きており、その批判の受け皿として田中康夫さんが選ばれ、初当選を果たしました。

県知事時代はとにかく新しいことにチャレンジし、行財政改革を徹底して行ったほか、福祉政策、教育政策に力を入れ、県民の支持を集めました。しかし、脱ダム宣言など業者との癒着が起こりやすい分野から総スカンを食らい、1度は議会から不信任決議を受け、失職します。それでも多くの県民に理解されており、圧倒的な差をつけて再び知事に。この2期目の時に、田中康夫さんは新党日本を立ち上げます。当時は郵政民営化を巡る選挙が行われた時期で、田中康夫さんは長野県知事をやりながら政党代表を務めるという、当時では画期的なことをやりました。ただこれらの行動は長野県民からすると急進的すぎたのか、段々と支持を失い、田中康夫さんは2006年の選挙で敗れました。

2007年、新党日本の代表として参院選で立候補、比例区で45万票を獲得し当選します。舞台を国会に変え、精力的な活動を行っていく中、2009年の総選挙で衆院選に鞍替え、大臣まで務めた公明党の議員を破って当選しました。民主党の会派に入り、与党議員の1人になったものの、混乱が続いたことで早々に会派を離脱、2012年の総選挙では民主党からも立候補者が出るなどし落選、その後、2016年にも参院選に出馬し落選と、政治家として身を引き、政治評論家としての道を歩んでいくことになります。

日本の問題点をとことん見つける日々

テレビやラジオに出演する機会が増えた田中康夫さんですが、日本が抱える問題点をとことん追及するようになります。新型コロナウイルスが蔓延し、いったん落ち着きをみせた2020年7月にGoToトラベルがスタート、その際にも、「旅行では感染しない」という専門家の発言に噛みつき、PCR検査がなかなか行われない現状を批判しています。PCR検査が全然行われず、件数も増えない状況は2021年に入っても同じで、民間のPCR検査を自費で受ける人たちが急増している状況です。

また2021年1月に緊急事態宣言が出され、1か月後にコロナの事態を改善させると語った菅総理の発言と、それからしばらくしてワクチンを前提としなくてもオリンピックを行うと言い切った発言を引き合いに出し、イギリスの新聞で、日本政府がオリンピック中止を決断したと結論付けたというニュースに触れています。ここでは日本のメディアの問題点に触れており、自分たちでは取材をせず、別の国のメディアが書いたことを引用して記事にすることを批判し、頭がおかしいを略した「あたおか」を用いて日本の政治やマスコミがおかしくなっている様を紹介しました。田中康夫さんはTwitterで積極的に情報発信を行い、しっかりとした根拠を並べた上で矛盾点を突き、問題点をあぶりだしています。

政治家時代から是々非々で臨んできた田中康夫さん、考え方が近かったり、友人家計にあったりしながらも自分と考えが異なる意見であれば容赦なく批判する一方、考え方が異なる事が多い人物であっても同じ意見であればそれを良しとするなど、人間関係にとらわれないのも特徴的です。時に絶賛することもあれば、一転して酷評することもあるため、人によっては腹立たしく感じる人もいるでしょうが、人間関係は度外視し、物事で判断しているため、是々非々を貫くことができるのです。

この是々非々の考え方は、自らを「ウルトラ無党派」と称し、自民党のやり方を批判すると同時に、労働組合中心の左派的なやり方にも一線を置き、あくまでも草の根の市民運動で政治を変えていこうとしました。組織的な運動はせず、やるにしても勝手連的に自由にやらせるのも特徴で、そのあたりも魅力だったと言えます。現職が強いとされる知事選で敗れたのは、相手は自民党的な組織重視の選挙をやっていたからであり、草の根の市民運動だけでは太刀打ちできなかったのも大きいでしょう。いずれにしても、ブレているのではなく、あくまでも物事に対して是々非々であることが田中康夫さんの特徴です。

まとめ

政治評論家として政治に鋭く切り込んでいく姿は、マスコミが迫力不足と言われる中では頼もしく見えると同時に、徹底的に容赦なく追及を行っていくため、追及される側が厄介に感じる存在と言えます。常に批判をする対象がまともな判断をすれば、しっかりと評価するなど、決してジェラシーや憎しみでやっているわけではないことを示します。再び政治家になる可能性は低そうですが、政治評論家として政治家を斬り続ける姿を見たいものです。

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