石巻レポート「ボランティアを通して感じたこと」 佐伯祐司

僕は3月24日~4月8日と、7月23日~8月10日まで、2度石巻でボランティア活動を行いました。

2度の活動の中で色々なことを感じました。その中の一つとしては、コミュニティの重要性です。石巻市内の避難所の状況と、石巻近隣の壊滅した漁村の避難所の状況は3月から大きく違っていました。市内の避難所は直ぐに各都道府県から職員が派遣されて、支援物資が届き、ボランティアが入り、状況としては漁村に比べ恵まれた状況にありました。一方、漁村の方は震災後1カ月近くまともな支援が届かず、ガソリンも無く、道路も寸断されて陸の孤島と化していました。しかし、漁村の方々は市内の避難者達よりも元気に毎日を過ごしておりました。もともとの地域コミュニティが生きていたことがこのような差に表れたのだと思います。

市内の避難所は色々な地域から寄せ集められた人々であり、知らない人同士が同室で暮らす状況でした。また、多くの支援者や物資が届き、避難した人々は何もしなくても、ある程度のケアが行き届いた状況でした。毎日することもなくTVの震災情報道を眺めては朝晩の支援物資を食べて、寝て過ごす老人達が目立ちました。ケアする側と、される側がはっきり分かれてしまっており、ケアされる側から自ら状況を変えようとする活力が損なわれたような印象を受けました。

漁村の方は、自分達で何とかしないと生きられない状況がありました。体が弱い老人達も自分の出来ることを探し、役割を持ち、皆で協力し合って生き延びました。漁村はもともと一個人では生きて行けない生活背景があったことが、今回はプラスに働いたのだと思います。漁は一人ではできません。また、獲れた魚の処理も一人ではできません。もともと協力し合って生きてきた人たちでした。4月、道路が地方の漁村とつながった頃の石巻ボランティアセンターで行われていた毎日の報告会では、「不思議なことに牡鹿は元気です」、「雄勝は大丈夫です」などという報告が続きました。家族を亡くした人たち、親戚を全て失った人たち、親や友人を失った子供達、皆それぞれに苦しみを抱えながらも、「共同体」を優先させて、皆で助け合い、励まし合って生き延びたのです。自分の感情を集団のために抑圧しなければならない状況は必ずしも健康的とは言えないでしょう。しかし、全てを失った人々が、共同体から受け入れられていること、人の役に立っていること、支え合える人間関係を失っていないことは、その人たちにとって大きな意味があったのではないかと思うのです。

「人は一人では生きられない」という原理は誰もが知っていると思います。しかし、現代社会はこの原理を過去のものへと追いやって、「いかに楽で、そして人と関与せず一人で生きていけるか」という幻想を我々に提供しようとしているようにしか思えない側面があります。今回の震災のように人間の想定をはるかに超えるような出来事が起こった時に、それが幻想であったことに気づくのです。
人はひとりで生きていたのでは生きている実感は得られず、人とのかかわりの中で生きるときにのみ、生きている実感が得られる(活き活きできる)という原理は昔も今も変わらないのだと思うのです。集団の中で役割を持ち、人の役に立ってこそ、そこに自分の「生きられる場所」、自分の「居場所」を手に入れることが出来るのであり、この世での人の居場所はそこにしかないのだろうと思うのです。一見何もできないような重度の身体障がい者であった兄のことを振り返っても、この結論に変わりはありません。また、神様自身が人となって人に関与されたことを考えてみても、人は人との関わり合いの中でこそ「生きる」事が出来る、活き活きできる、あるいは「絶望」が「希望」へと変えられるのだと教えられるのです。

我々メノナイトの群れは「共同体(コミュニティ)」を大切にする伝統がありますが、どうでしょうか?それぞれがそれぞれを必要とし、共に関わり合い、支え合っている共同体でしょうか?共同体が活き活きしているでしょうか?

石巻の仮設住宅は9月一杯で完成し、全ての人が一応住むところに困らない状態になります。阪神大震災の時には、仮設住宅に移った老人達の孤独死が多かったことの反省を生かし、今回は市が巡回支援員を雇って仮設住宅の独居老人を訪問します。しかし、仮設住宅は抽選でランダムに割り振られたものであり、そこにコミュニティはありません。孤独死は減るかもしれませんが、孤独は減らないのです。NPOボランティア団体は、所々にコミュニティカフェを作り、そこで炊き出しを行い、憩いの場を提供することでコミュニティ形成に一役かおうと頑張っています。しかし、それもボランティア主導でやっているうちは本当の意味でのコミュニティは育たないであろうと思います。ボランティアが作ろうとしているコミュニティに、そこに住む人たちの積極的な関与をいかに引き出せるかがポイントになりそうです。ボランティアの意識改革が必要です。ヘルパーとして手を差し伸べるのではなく、「一緒に」という感覚が必要だと思います。あるいは、被災者自身の活動を支えるという視点がより重要な時期を迎えているように感じます。

さて、僕はここ数年、教会の礼拝内でメッセージの代わりに「創世記」の聖書研究を月に一度リードしてきました。創世記を読み進むと洪水やら飢饉やら様々な災害の記事が登場します。「バベルの塔」ではもしかすると大地震が起こったのかもしれません。大昔の人々はユダヤ民族に限らず天変地異と神様の怒りとを結び付けて考える習慣があったのかもしれません。今回の震災でもどこかの政治家が「これは天罰だ」と発言しています。人知を超える出来事を前にすると、人は超自然的な力を感じることで、その出来事に意味づけしようとするものなのかもしれません。
聖書研究の後のディスカッションで、矢口牧師が「創世記の人々は神様に、なぜ災害など起こすのですか?とか、災害を起こさないでください、というような祈りの記事がほとんど無いことが不思議だ」と指摘されました。ディスカッションが進む中で話し合われたことは、恐らく創世記の時代の人々は、災害と隣り合わせで生きていたのではないだろうかという考えが出されました。災害はいつも身近にあるものだったため、「なぜ」災害が起こるのかということよりも、いかに災害を乗り越えるのかということの方が重要であったのではいかというのです。小さな遊牧民族が厳しい自然環境の中で生きて行くためには、他民族や、他国と良い関係を築くことが必要であった可能性があります。ヨセフ物語の飢饉の時には、食料を求めてエジプトへ行きました。災害は神の怒りではなく、いつもそこにあるものなので、解決策は神様に雨乞いすることではなく、エジプトと良い関係を結ぶことであり、神様の導きの中で生き残ることだったのではないでしょうか。
 創世記を振り返って感じることは、人間に対する神の怒りの厳しさではなく、厳しい環境の中で、時には愚かしく、そして弱弱しく生きている人間に対しての神の導きであり、憐れみです。創世記の中で、私達の神様がどのような神様なのかを最も象徴的に表わしている個所はノアの箱舟の記事の最後の個所ではないでしょうか?
私達の神様は、災害で人を滅ぼす神様ではなく、「災害で人を滅ぼさない」と約束される神様の姿がそこに表わされています。
地球上ではいつもどこかで災害が起こっています。さらに、私たちは地震大国日本に暮らしています。災害はいつも私達の周りにあるものです。その災害といかに向き合って暮らしていけるのか、4000年前の小さな遊牧民の記事から、そして被災地の人々の暮らしから色々学ばせていただいた気がしています。僕の中では、「神様の導きの中で生きること」と、「周りの人々に関与して生きること(いかに隣人となれるかということ)」は、矛盾しないことのように思えるのです。

などなど、色々説教くさいことを書いてしまいましたが、ボランティアを終えた僕自身はというと、北海道は別海町へ帰省し、まる二日間は眠りこけ、その後4日間は自分の欲望のままに釣り三昧してきました。写真は世界自然遺産知床の海で釣りあげたカラフトマスです。美味かった。

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佐伯祐司

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