#5 熊本地震被災地訪問の報告 日本メノナイト・キリスト教会会議議長 佐土原キリスト教会 吉行孝彦 6/13/2016

 宮崎南教会の佐藤省三先生(JMF役員)にお声を掛けて頂き、6月13日(月)、滝部伝道所の岡崎新太郎先生(JMF役員)、佐藤省三先生・恵美子夫人に同行して熊本地震被災地を訪ねました。熊本地震においては、日本メノナイト・キリスト教会会議がJMFの支援の窓口になるということで、現地の様子を知っておきたいと願ったからです。
 最初に訪問したのは、九州キリスト災害支援センター(「九キ災」)の拠点になっている植木キリスト教会でした。植木教会に入ると、会堂には支援物資が積み上げられていました。専従スタッフである田巻みどりさんが「九キ災」の活動状況について詳しく説明して下さいました

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 この2か月、色々な救援活動をして来られたとのことですが、近況として「支援のニーズが少し下がって来ている」という話もして下さいました。復旧のために助けを必要としておられる方々は、まだまだ沢山いらっしゃることと思います。そのニーズを掘り起こすところから、隣人のために地道に働きたいと願っておられる「九キ災」の方々の篤い思いに感銘を受けました。ボランティアの方々も続けて来ておられます。ボランティアの宿泊の場所もあるようです。広告の配布などを通してニーズを掘り起こすことも、ボランティアの大切な働きではないかと感じました。JMFから支援金をお渡ししましたが、それは「九キ災」のお働きのために大きなお励ましになったことと思います。

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 次に熊本東聖書キリスト教会の豊世武士先生ご夫妻を、待ち合わせ場所の熊本北聖書キリスト教会にお訪ねしました。熊本東聖書キリスト教会の礼拝堂は、震災によって全壊したということで――後で益城町に行き、会堂のあった建物を見ましたが、建物は「良く豊世先生ご家族は助かったな」と思うほどの激しい崩壊でした――豊世先生ご夫妻は、熊本市内のアパートに移り住んで、信者さんの経営する会社の一室で礼拝を守っておられるとのことでした。先生ご夫妻は、教会の方々が全員守られたことを何よりも感謝しておられました。

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 地震被災の様々なご苦労を伺いましたが、中でも印象深く伺ったのはお嬢さんのことでした。4月14日、1回目の地震の時、お嬢さんは浴室でシャワーを浴びようとしておられたところだったそうです。浴室の壁がだんだん押しつぶされていって、壁が目の前に迫って来た。右手は壊れた建物に挟まれて身動きは出来なかったそうです。ついに壁が顔のところまで来た時、お嬢さんは必死で「詩篇23篇」を暗誦されたそうです。それによってパニックにならずに済んだということでした。そうしているうちに、壁の動きも止まったようです。さらに服は脱いでおられましたが、シャワーを浴びる前だったので、濡れた体が冷えるということもなかった、またタオルが目の前に何本がぶら下がって来て、それで体を温めることも出来た。色々な条件が重なって、5時間後でしたか、救出されたそうです。実は、お嬢さんは、生まれてすぐ、全身の血を入れ替えなければならない状態だったそうです。ご両親は必死で祈られた。その祈りの中で命を守られ、今日まで成長して来られた方だそうです。ご両親は「この子は神様に守られている子だから大丈夫だと思っていました」とおっしゃっていました。神様は、震災の中、色々な業を為さっていたことを改めて教えて頂き、御名を崇めました。
 豊世先生は「今は熊本市内で礼拝を守っているけど、やはり益城に帰って教会の働きをしたいと思っている」という趣旨のことをおっしゃいました。先生方のために、教会のために、祈らせて頂きたいと思いました。また支援が求められていると感じました。JMFからお見舞い金が捧げられましたが、それは先生方にとられ、また教会にとられ、大きな励ましであられたことと思います。

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 豊世先生ご夫妻とお別れした後、益城町に行き、被災の状況を見ました。まず町の入口にあるボランティア・センターを訪ね、社会福祉協議会が行っているボランティア派遣の様子に少し触れることが出来ました。震災直後から、変わらずに、ニーズの掘り起こし、ボランティアの受け付け、派遣の作業が続いているようです。
そこから、いよいよ益城町の市街地に入りました。入ると直ぐに、屋根にかぶせてあるブルーシートや、斜めに歪んでいる塀、壊れた建物等、震災の傷跡が目に飛び込んで来ました。最初に車を停めたのは、前述の熊本東聖書キリスト教会のある場所でした。その一帯の家は、激しく壊れていました。

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 教会を目の前で見て、豊世先生方は良く助かったな、と改めて神様の御手を思いました。
 同じ敷地にボランティアの要請を受け付けるブースがありました。日本各地でのボランティア活動の経験を持っている方々がチームを作り、ボランティアの活動を希望される被災者のお宅で活動しておられるそうです。彼らは重機も動かすということでした。色々な人達が被災者に心を寄せ、また具体的な活動をしていることを感じました。>

 その後、益城町でも被害の最も激しかったであろう一区画に行きました。

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 通りの両側の家々は、大変な被害を受けていました。ある家はつぶされ、また傾き、地震の被害の生々しさがそのまま残っていました。住んでおられる方々は、どこからどうやって手をつけたら良いか分からない状況でいらっしゃるのではないかと思いました。片付けには、ボランティアの活動はもちろんですが、重機による整備等、行政の働きが何より重要です。行政の働きのためにも祈らなければならないと思わされました。

 最後に、「九キ災」のもう1つの活動拠点となっている木山キリスト教会を訪ねました。教会の方々とお話する時間はありませんでしたが、教会の前には「九キ災」と書かれた軽トラックが停まっていました。「九キ災」、山木教会のお働きのために祈り、教会を後にしました。

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 以上が、今回の被災地訪問の行程ですが、訪問を終えて、次のようなことを感じました。

・「九キ災」の田巻さんが「何より祈って欲しい」とおっしゃっていました。何よりまず、被災地の方々に、被災地の教会に、またそこで働く全ての方々のために、心を寄せて祈ることが大切だと思いました。祈りによって神様の御業に加わって行くことは、特に被災された教会、クリスチャン方にとって、決して小さいことではない、その方々を支えるものであると、改めて確認しました。

・今回、JMFから、2か所に献金が送られましたが、それは被災地で大変な思いをしておられ、また様々な必要を覚えていらっしゃる方々にとって、大きな励ましとなったことを思いました。JMFが、またJMFを通して献金を捧げられた1つ1つの教会が、また様々な形で献金を捧げられた教会、お1人びとりが、神様の祝福を届ける器となっていることを感じました。同時に、まだまだ必要を覚えておられる教会、クリスチャンの施設が沢山あるのだろうと思いました。そのような教会等の必要に応えて行くことが出来れば、それは主の恵みの御業への参与だと思います。

・ボランティアの方々のお働きの尊さを思いました。被災された方々が何から手を付けて良いか分からない状況にあられる時、一緒に働いて下さる方がおられることは、大きな励ましだと思います。手伝ってもらうことを遠慮される方もいらっしゃると聞きましたが、ボランティアの働きに感謝される言葉も伺いました。そして、これからのボランティアは、被災された方々のニーズの掘り起こしからやって行くような、被災地の方々の心情にさらに寄り添う姿勢も大切なのかな、と感じたことでした。

・JMFとしての今後の支援の在り方については、引き続き「ボランティア派遣」、「被災教会の支援」のふたつが柱になると思いますが、いずれにしても被災地の状況、被災された方々の必要、被災された教会の必要を知ることが大切だと思いました。

以上、報告致します。

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