パズドラ論
ラグナロクドラゴンの究極進化素材を集めるのに費やしたいつかの休日が偶に思い出される。一生忘れないのではなかろうかというよくある感覚。
受話器の近く,床に2台のiPadを置きひたすら作業を続ける僕
記憶は情報のシルエットを彫り出したような残り方をする。その1日を象徴する構図が頭に浮かぶが,それ以外の情報は連想ゲームから発掘せねばならない。
ゲームwithの素材一覧
闇と光属性のゴーレムの最終形
大量の黄金の番人
どうやら真剣だったらしい。
パズル&ドラゴンズは何をもたらしているだろう
パズドラを軸に小4から中2くらいまでの期間を考えることができる。
そうしてみると、僕の感覚における「パズドラ」の周りでは,人々と個人,場所,状況,そして自分すらも対等に扱われているように感じる。
長かったから きっとこの一点に尽きる。
「長い」何か はまだあまりない。精神も環境も変化する中でこそ,長さは成立する。
普通その何か は環境に絡みつくものだから,大抵のものは長くならない。人々と状況と己が周りにくっついてくるものなんて,そう幾つもないないと思う。
パズル&ドラゴンズが抱えている時間は長く,そして軽い。でももう僕には,その時間を更新することができない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?