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「2024年、夏。G1CLIMAXと、私。」を読んで

(竹下幸之介選手に届きますように)

 この夏、私(37)はKONOSUKE TAKESHITA選手のファンになった。私だけではない。私の妻(26)も息子(5)も娘(2)もファンになった。
 特に、5歳の息子は、今回のG1、浜松アリーナ大会を観戦したが、観戦後、物販で、Tシャツでもなく、ティタンのマスクでもなく、パンフレットをねだった。そして、まだひらがなも満足に読めないのに朝から毎日見ている。
 私は国語の先生を高校でしている。この夏休みもいくつかの本や文献を読んだが、1番感動したのは竹下選手の書いた「2024年、夏。G1CLIMAXと、私。」だった。妻にも読むように勧めた。初めてnoteでお金を払った。普段は読書感想文を書かせる立場の私が、感想文を書いてみたくなった。
 冒頭に「ファンになった」と書いたが、そう、私はプロレス歴はまだ浅い。子供の頃、父が好きで見ていたプロレスを一緒に見ていたから全く知らないところからのスタートではないものの、棚橋選手や、中邑選手、オカダ選手や内藤選手のストーリーは知らなかった。(のちに勉強して知った)。正直に言うと、竹下選手のことも、アメリカで頑張っている日本人選手がいるらしい、くらいだった。
 でも今では、世間からはニワカと言われてしまうかもしれないが、ファンと名乗らせてほしい。その試合での姿、言動、そして文才。noteも全部見た。上から目線みたいで嫌だが、竹下選手は間違いなく文章が上手い。
 さて、こんな私が、竹下選手の試合を初めて生で観戦したのは前述だが、2024年8月14日浜松アリーナ大会である。入場曲が流れ、いよいよだと思いながら手拍子を膝に乗った息子としている。でも一向に出てこない。「出てこないね」と息子が言ったのと同時に、EVIL選手とディック東郷選手に引き摺られて出てきた竹下選手。私と息子はHOUSE OF TORTUREのファンでもあるので複雑な気持ちになりながら見ていた。
 成田選手との試合、「膝がダメなら!」と全力で立ち向かう竹下選手の姿に、私も妻も息子も何度「たけしたー!!!」と叫んだかわからない。最後竹下選手が投げっぱなしジャーマンを試みた際には人目も憚らず「ぶっこぬけ!!!」と叫んでいた。目に涙まで浮かべながら。息子がそれを見ていたのに、私は気づいていた。
 こんな夏を過ごしていたものだから、先日竹下選手の書いた「2024年、夏。G1CLIMAXと、私。」を読んだ時、いくつものシンクロニシティを感じて嬉しくなってしまった。物販でパンフレットを買って毎日読んでいる息子、プロレスラーの姿に涙した私を見ていた息子、今改めて思う。そこには感動がありました。
 18日の幕張メッセ大会での涙を悔いていると竹下選手は綴っていたけれど、私はその涙に感動してまた今度はテレビの前で涙ぐんでいた。
 間違いなく私は、そして息子は竹下選手から感動をもらった。その出来事でこれからも生きていけると思ったし、息子のこれからが楽しみになった。
 夏が終わればまた日常が始まり、今度は寒い冬に向かって行く。いろいろなことがあるだろう。つらいこともあるだろう。その度に立ち上がり、感動を呼べるような人になりたい。

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