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JDDは「働き方」でも先駆者を目指す。新しい時代のエンジニア組織マネジメント


2020.12.25現在
2018年にJapan Digital Designへ入社し、VPoE(Vice President of Engineering)として、エンジニア組織のマネジメントや各種プロジェクトの立ち上げなどを行う村田 洋佑。新しい働き方の中で幅広い業務をこなす彼が、JDDで目指すこととは。



キャリアのきっかけは音楽?シンセサイザーからSaaSまで

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ITに興味を持った最初のきっかけは音楽でした。学生時代から音楽活動をしており、最初はバンドを組んで活動していたのですが、20歳を過ぎた頃に電子楽器を使った音楽制作も行うようになりました。ソフトウェア上のシンセサイザーやシーケンサーのみで音楽制作が出来ることを体験したことがきっかけで、ITの世界にのめり込んでいきました。

そんな経緯から、就職活動の際もITに関わる会社を中心に探しました。ちょうど当時はインターネットバブルと言われる時代。インターネットで世の中に革命が起きるんじゃないか、という期待感や躍動感もあり、周囲にもIT企業を目指す人が多かったですね。

新卒でSIerに入社し、プログラマとしてキャリアをスタートさせました。 どのSIerも同様ですが、やはりBtoBの業務系・基幹系システム開発の案件が圧倒的に多かったため、インターネットバブルのイメージとは少しギャップがあったものの、システム開発の基礎を叩き込んでもらえたことは今の自分にとって非常に大きな糧となっています。

その会社には12年在籍。プログラマからリードエンジニアになり、PMなどプロジェクト全体の管理を任されるようになり、順当にキャリアを歩んでいきました。

立場が変わることで、自分の視点も変わっていきました。キャリアの初期の頃は設計書に従い実装を進めシステムとして形にするのが仕事、という認識でしたがリードエンジニアやPMになると、顧客が必要とするシステムとしてどうあるべきか?という要件を、関係各所と擦り合わせて固めていかなければならない。様々なコンフリクトが発生する中で、何を軸に決めていくのか、どこを向いて仕事をするのか、視座を徐々に高めていく必要がありました。

実は当時から、金融系のシステム開発にも携わっていました。MUFGグループ内の銀行を顧客にプロダクトの受託開発を受け、顧客企業へソリューションとして販売・導入していくところのプロジェクトリーダーを務めました。Fintechという言葉もない時代でしたが、当時としては先進的なプロダクトだったこともあり、興奮したのを覚えています。

1社目の在籍最後のプロジェクトでは開発リーダーとしてアジャイル開発プロセスを用いてSaaSプロダクトを開発するプロジェクトを経験。技術スタックとしてAWSやruby on railsなど新しい経験を積むことができた貴重な案件でしたね。アジャイル開発やパブリッククラウドについて実務を通じて本格的に学び、実践していく過程で、変化していくマーケットのニーズに柔軟に対応でき、顧客が本当に求めているものをスピーディに提供できる開発スタイルに衝撃を受けました。

もっとこういったプロジェクトの経験を積みたいと考えた時、当時の会社のままではどうしても機会が限られると考え、2社目となるベンチャー企業へ転職。当時ちょうど、パブリッククラウドの活用やアジャイル開発の導入についてマーケットニーズが高まっており、そこに注力しようとしていたことが入社の決め手となりました。

入社してからは、まさに自分が経験したいと思っていたような案件を多数担当させて頂きました。入社後は、まだ何を作れば良いか、どう作ったら良いかもわかっていないふわっとした状態で顧客から相談が入るので、案件の進め方や開発スタイルも自分で提案できる環境でした。プロトタイプを2週間程度で作り、顧客からフィードバックをもらい改善を進めていく、という仕事の仕方が多く、新しいテクノロジーを積極的に導入することが可能でした。 自分が提案できる幅が広がり、やりがいはありましたが、同時に難しさも非常に感じていました。

PoCフェーズを経て正式なプロダクトとして幾つかのサービスをローンチまで進めましたが、世の中のニーズを捉えて売りを立てられるプロダクトをしっかり育てていくことがどれだけ難しいか、身をもって感じました。IoT事業の立ち上げを行うなど、かなり自分の影響範囲は広がったものの、業務の大半は顧客のプロダクト開発を受託する立場に変わりなかったので、次は自ら責任をもって、自分のプロダクトとして何かを世に出し、社会に貢献したいという想いが強くなりました。


新規事業を自らの手で「畳む」──これまでにない圧倒的な成長環境

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今までのキャリアの延長線上だけでは無い、新たな経験をしたい、また自分が当事者として責任を持ってプロダクトを世に出すという経験を積みたかったので、その観点で転職活動を開始しました。

その中で、1社目でも関わったことがあったMUFGの戦略fintech子会社ということでJDDが目に止まりました。MUFGが持っているリソースを活かして事業展開できるという点は非常に魅力に感じました。

金融系のシステム開発案件の多くは非常に大規模で身動きが取りづらく、技術選定もどうしても守りに入りがちです。そういったデメリットを回避するためにあえて別会社化していることにも覚悟を感じ、次の挑戦の場に決めました。

入社して驚いたのは、JDDの多様な働き方です。今でこそコロナ禍の影響もあり、リモートワーク中心の働き方も世の中に随分浸透しましたが、当時からフルリモートOKで、週3勤務のエンジニアがいたり、様々なバックグラウンドの人が多種多様な働き方をしていたんです。 そのような状況の中で非同期的なコミニュケーションを活用しつつメンバーをまとめてプロジェクトとして前に進めています。

JDDに入社してすぐにアサインされたのは、株式会社クラウドワークス(以下クラウドワークス)と一緒に進めていた「クラウドマネー」というプロジェクト。今でも印象に残っているプロジェクトです。

JDDとクラウドワークスのジョイントベンチャーで、当時急速に増え始めていたペイメントサービスに参入しようという案件でした。カルチャーの異なる2社でシナジー効果をしっかりと生み出しつつ、ライバルも多い中でどう差別化をして勝ち残っていくのか……非常に難易度が高い案件でした。

実は結果として、急速なマーケット環境の変化などを理由に、ビジネスとして厳しいという判断で、サービスリリース前にプロジェクト自体を畳むことになりました。

サービスリリース前にプロジェクト自体が頓挫するという経験は初めてだったので、正直ショックは大きかったです。だからこそ、この経験を必ず今後に活かさなければいけないと思っています。マーケットの動きをどう読むか、カルチャーの異なる企業と協業する際はどのようにコンテキストを合わせて生産性を最大化していくのか。

フルリモートで働くエンジニア間の認識合わせを適切に行うコミニュケーション方法はどうすべきか。なかなかできない経験をさせて頂きました。

悔しい経験だったものの、「畳む」という判断自体も自分たち自身で行えたことが、やはりこれまでとは圧倒的に違います。

MUFGのリソースを最大限活かしつつ、どんなターゲットに、どんなプロダクトを打ち出していくのか?その際、他社と一緒にやった方が良いのか?組む場合はどこと組むのか?どんな技術を使って、どんな開発スタイルで、いつまでにリリースするのか?など、全てを自分たちで決め、実行していかなければならない。そこが非常に難しく、また非常にやりがいがあるところです。

新規事業開発は、100個立ち上げて1つでも成功すれば良い方だと言われています。失敗を許容できる基盤がなければ、世の中にインパクトを与えるプロダクトを生み出す前に会社が潰れてしまうでしょう。失敗も経験して次に活かしながら、成長していける環境がJDDにはあります。


方向性の共有と殻を破る挑戦。特性を活かすだけじゃないマネジメント


入社したタイミングではシニアエンジニアとしての採用だったのですが、チームリーダーを経て、現在はVPoE(Vice President of Engineering)として開発組織を統括しています。高い当事者意識を持ち、自分だけでなくチームとして成果を最大化したいという想いで仕事に取り組んでいたことが認めてもらえたのかなと思うと、身の引き締まる想いです。

制度設計、整備などの組織マネジメントをしながら、エンジニアメンバーとの1on1を通したメンタリングやプロジェクトへのリソースアサイン、採用などのエンジニアリングマネージャー業務を行っています。

またプロジェクトへの関わりとしては、新規プロジェクト立ち上げフェーズにおけるビジネスサイドからの相談に乗り、開発組織としてどういった関わりをしていくべきかを検討したり、場合によっては開発側の責任者として自分も案件に入っています。

仕事を進める上で、ビジネスサイドとエンジニアサイドが同じ方向を向いているかという部分は常に気をつけています。お互いの目線が合っていないと、絶対にプロジェクトは成功しないと考えているので、そこを合わせにいくのが自分の使命だとも思っています。

具体的なやり方としては、プロジェクトのゴールがどこなのかを共有するために、対面でのワークショップの実施、プランニングや振り返りの場で定期的に認識合わせができているかを確認していきます。

JDDの多様な働き方も、マネジメントを難しくする要因の一つ。エンジニアがフルリモートワークOKであったり、週3勤務の社員もいたり、様々なバックグラウンドの人が働き方をしている中で、各々のメンバーをまとめてプロジェクトとして前に進めていかないといけないので、やはり難しさはあります。

とはいえ、このコロナ渦の状況がいつまで続くかもわかりませんし、コロナが落ち着いても今後何が起きるかはわからない。社員個別の事情もあるでしょうし、働き方の自由度は担保しておくべきです。

無理のない範囲で、例えばプロジェクト立ち上げのフェーズでは顔を合わせて話したり、折を見てイベントを開催したりと、効果的なやり方を模索しています。

JDDはジョブ型採用をしており、バックエンド、ネイティブアプリなどそれぞれに特化したエンジニアが所属しているので、プロジェクトにおいてもそれぞれの特性に応じたアサインをしています。

その反面、事業自体はエンジニアのスキルセットベースで決まるわけではないので、完全にマッチすることはなかなかないという悩みもあります。そこをどう埋めていくか、というのは日頃から考えているところで、場合によっては「持っているスキルセットを常に活かせるとは限らないので、プラスアルファの強みを作らないか?フルスタックを目指してみないか?」という働きかけをしたりもしています。

自分自身が決まった役割以外のことをすることによって、他者からも会社からも認めてもらえたという経験があるので、メンバーにも同じようにチャレンジしていってほしいと思っています。自身の領域から一歩踏み出す、越境することで、JDDだけでなく外部からも重宝されるような人材になれると思います。


「大切なのは、変わらないもの」新しい働き方、
新しいしくみで社会を牽引

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JDDは組織として大きくなって来ていますが、組織づくり、開発組織としてはまだまだこれからといった部分も多いと思っています。しくみ化できる部分はしくみ化し、自律的に動ける開発組織をつくっていきたいです。

また、金融領域に対しビジネスとテクノロジー、データサイエンスと体験設計のそれぞれを連動させ、プロダクトを出していきたいですね。

個人的にはtoC向けのペイメントプロダクトが世に出せなかった経験があるので、ちゃんとプロダクトを世に出すところまで実現したいです。それがMUFGのデータ基盤を活かしていくところでできたら良いですね。富裕層向けのウェルスマネジメント案件などに今後チャレンジしてみたいと思っています。

エンジニアマネジメントという観点では、JDDでの働き方は新しいものの、目的に応じて適切な認識合わせをし、メンバーにフィードバックをしていくという根本的な部分は変わらないと考えています。

私自身、こういった新しい働き方を経験してこなかった分、入社当初は他社のエンジニアリングマネージャーやCTOからも情報収集をしていたのですが、腹落ちする答えが返ってくることは少なかったです。ある意味それが最先端な働き方をしている証拠なのかもしれないと思いましたね。自分で模索し答えを探してきて、なんとなく今の形ができてきたという状況です。

とはいえ、JDDの働き方に則した評価制度のアップデートなど、新しい働き方に合わせたしくみ化もやっていきたいと思っています。

また社会全体で見ると、新たなワークスタイルにまだ時代が追いついていない気もしています。社会に多様な働き方が実装されることは、より多くの人が活躍できるチャンスにもつながります。JDDが先駆者として、新しい働き方の浸透に向かって社会を引っ張っていければ良いなと思っています。