大企業とベンチャーで得た知見。多様な人がいるからこそ、それぞれが生きる場をつくる
2020.11.13現在
Japan Digital DesignでM-AIS(アイス)の事業開発をはじめ、さまざまな業務に携わる瀧本 茜。彼女が歩んできたキャリアは、大企業からMBA留学、ベンチャーと多彩。JDDでは初めてのマネジメントを経験する瀧本が、これまでの変遷を振り返りつつ、自身のビジョンを語ります。
大企業、MBA留学、そしてベンチャーへ。多彩な
キャリアの変遷
私のキャリアの始点は、NTTコミュニケーションズです。入社のきっかけは、就職活動を行っていた2000年くらいに、ドットコムバブル(ITバブル)真っ最中だったことでした。
NTTは大きな組織ですがNTTコミュニケーションズは海外のインターネット企業を買収するなど、ニュースになるようなおもしろいことをやっていて、かつ女性が長く働くことができそうだなと思い、2001年4月に新卒で入社しました。
入社後は「理系だから技術部門に行ってね」という感じで、インターネット技術に関しては素人なのに、インターネットのバックボーンを構築・運用している技術バリバリの部署に配属になってしまって(笑)。メールサーバやコアルータのパフォーマンス管理など、わからないながらなんとか業務を行っていました。
ただ、通信機器とずっと喋っているのはなかなか辛くて……まず企業向けの営業部隊でSEとして異動し、その後プロダクト部門で企画を担当する部署に異動しました。当時「単純に理系だから」という理由で配属されたのが、後々テクノロジーに関わるきっかけを作っていただいたと考えると、妙な縁を感じますね。
そのあと退職し、2006年夏から2008年夏までの2年間は、MIT(マサチューセッツ工科大学)にMBA留学をしました。NTTで働いている5年間の間に、友達が起業したり、転職したりという話がちらほら入ってきましたが、大企業で5年間働いていても自力ではまだ何もできないんですね。
もともと学生時代から留学したいなとは思っていたのと、「自分の力をつけるためにとりあえず行ってみよう」と半分勢いもあり、留学を決意しました。
留学した2年間はその後に影響を与える刺激の多い日々でした。留学先のMITには「技術で世界を変える」というマインドもありましたし、初めてまったくバックグラウンドの異なる人たちと生活を共にしたので、コミュニケーションの仕方などを学ぶことができました。
留学から戻った後は、2008年にコンサルティング会社に入社し、通信・金融機関の経営コンサルティングに従事していました。
2011年には、創業間もないベンチャーに入社。当時は創業者とエンジニアしかいなかったので、資金調達、セールス、事業開発、マーケティング、PRなど幅広く担当していました。会社も大きくなり、人が入ってからはBizDev担当として、事業開発とマーケティングをメインに行っていました。
MUFGからJDDへ異動。「遠い存在」になって気づいたこと
前職のベンチャーを経て、2016年に株式会社三菱UFJフィナンシャル・グループ(以下、MUFG)のデジタルイノベーション推進部に入社しました。
自分の経験と強みを考えた際に、ベンチャーと協業することも、投資することもできる大企業がいいなと思ったことが、最終的にMUFGグループに入社を決めた理由でした。
MUFGに入ってからは、オープンイノベーション担当として、「MUFGデジタルアクセラレータ」というアクセラレータプログラムの運営を行うのがひとつの大きな業務でした。
ベンチャーの強みを見ながら、社内のプロジェクトを運営したりメディア運営をしたり、コワーキングスペースを企画してつくったり、良いベンチャーを見つけたらアクセラレータ関係なく社内に紹介したり……3年間こうしたマッチングとプロジェクト支援業務を行っていました。
2020年7月にJapan Digital Design(以下JDD)に異動になりました。今までベンチャーと大企業で働いて、MUFGと外の会社をつなげる働きをしてきたので、あんまり自分が異動するのをイメージしていなかったんです。なので、けっこう意外な異動ではありました。
ただ、JDDには銀行時代からの知り合いも多く、もともとどういう状況かは知っていたので、異動後のギャップはほとんどなかったですね。MUFGの中にいたときは、JDDのことも遠い存在だなと思っていました。
しかし、いざこちら側に来てみるとMUFGという大きくてなかなか中からは変えづらい組織を、良い距離感で、ちょっとずつ「こう変わっていこうよ」と外から引っ張るのもいいアプローチだなと気づきました。
JDDも2020年で3周年を迎え、今は過渡期というかフェーズが変わるときだと思っています。これまで個々の才能と能力で回してきて出た小さな芽が、やっといくつかの柱になってきた段階です。
なので、今は組織として成長するときなのかなと。そうした中では、私みたいに後から来た人が積極的にしくみづくりをやるべきだと思います。なので、次に大きくジャンプできるように土台をつくっていくことが、今一番やりたいことのひとつです。
多様な個性を生かせる場づくりを。初めてのマネジメントに奮闘中
2020年現在は、M-AIS(アイス)で事業開発チームのマネジメントと、AML(アンチマネーロンダリング)分野のビジネスを担当しています。
その他にも、JDD全体のマネジメントチームの一人として会社をどうグロースさせるかというプランニングを担当しています。 JDD全体のミッション・ビジョンを達成していくためにどうすべきか。ということを考えつつ、M-AISという組織を拡大していくためにどうするか。ビジネス側の人間として深津とのダブルヘッドで策定しています。
実はマネジメントポジションは私にとって初めてのチャレンジです。これまでの経験が生きてくるわけでもないので、なかなか難しいなと思う部分もあります。
メンバーはみんな専門知識があって、それを伸ばしたい、結果を残したいと思っているので、そういう場をどうやってつくるかということを意識しています。目指しているのは、自由に好きなことを安心してできる、且つ成長していると実感できる場です。今はここに専念しています。
JDDは成果に対しては貪欲な人が多いですし、これまでの自分とは違う、もうちょっと難しいことをやりたいという人が集まっていると思います。
また、JDDでは自分の強みややりたいことがしっかりしていて、経験や知識も豊富な人が多い。だからこそ衝突することがあるのですが、それがいいなと思っています。それぞれが意見をぶつけながらやっている中で、私自身はマネージャーとして整理していこうとするのですが、みんなそれぞれが役者で個として立っている、そういうスタイルが印象的です。
カルチャーとしては、ベンチャー時代に戻った感じですね。当然だと思っていることが共通認識ではないことも多々あります。いろいろな考えがあり、キャラクターも多様ですが、
「こういう人たちが集まる会社だよね」と、とにかくその人たちの個性を生かす場をつくることが大事だと思っています。
そんな中でも、私は大企業とベンチャーと両方見てきたので、複眼的な視点で見ることができるのは強みなのかなと感じます。
目指すのは縁の下の力持ち。JDDとM-AIS、それぞれが描くビジョン
今後のビジョンとしては、M-AISに限って言うと、金融業界やMUFGグループ内での知名度を上げていきたいです。いいプロジェクトをやって、みんながM-AISに相談したいなと思えるような評判づくりや実績づくりをしたいなと。そのためには、やらなきゃいけないことがたくさんあります。なので、それをひとつずつやっていくしかないと思っています。
また、M-AISは、金融機関の中のデータ分析チームでトップを目指しているので、それを実現したいです。AIやマシンラーニングとかの取り組みは、やっぱりまだまだグループ内でうまく活用できている事例が少ないですし、データ活用は進んでいないので、M-AISがそれを支えていきたいです。
MUFGグループ内でJDDが期待されている役割は、前例や実績づくりという部分なのかなと思っています。誰もがこれまでやったことがないことにリスクを冒してまでやりたくないと思うはずなので。だから、「JDDでやっているらしいよ」とか「JDDとあそこの事業部がやったらしいよ」とか、前例がたくさんできる場所になればいいなと思っています。
わかりやすい事例があると真似しやすいものですよね。最初の小さい一歩を踏み出すのが割と大変なのですが、それを実際にやってみる!という役割を、JDDひいてはM-AISに期待されているし、そこがおもしろい部分だと考えています。
“金融”とか“テクノロジー”というと、普通の人からしたら近寄りがたいと思うんですよね。でも実は身近なもので、さまざまなリスクから守ってくれているということがわかるといいなと思います。
たとえば、ATMから安全にお金を引き出すことひとつをとってみても、さまざまなリスクがあります。だからこそ、JDDが提供しているサービスは、普通の生活を”実はすごい技術”で支える「縁の下の力持ち」的な存在になっていきたいなと思います。