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親の勘違い 子ども世代をいかにダメにしているか?

まともな〈妄想〉を身につける

子どもを抱え込めば必ず問題を生じます。その理由を深く理解しましょう。子どもが、抱え込もうとする親に適応しようとするからです。

子どもから見れば親は、わけのわからない世界観を生きています。かつてと違い、万人に共通の世界観ではありません。むしろ個人の〈妄想〉に近い。

性的潔癖症だったり、学歴フェチだったり……。特殊な親だけだけではありません。どんな親も、多少なりともへんちくりんな〈妄想〉を生きています。

親が子どもを抱え込めば、子どもは親の〈妄想〉に適応を迫られます。その結果、子どもは、親への適応に役立つ〈妄想〉―世界観や感情の枠組―を抱えます。

子どもが自己防衛のために抱えるこうした〈妄想〉は、親への適応には役立っても、社会を生きるのには役立ちません。それどころかたいてい有害です。

そんな子どもたちが増えれば、大人になったとき、社会がデタラメになります。そうなりはじめています。「正しさよりも損得」という動きがそれです。

こうしたデタラメな社会を、制度の手直しでは治せません。未来の社会をマトモにしたければ、すべての親が子どもの抱え込みをやめなければなりません。

通過儀礼の意味……大人共同体への移動

とはいえ親子の間に横たわる問題は山積みで、抱え込みをやめる程度では足りません。たとえば社会が通過儀礼を失っていることは問題ですが、親には対処が難しい。

通過儀礼は「子ども共同体」から「大人共同体」に移行するためのもの。古い社会では初潮や精通の時期に2週間から1ヶ月のセッションがなされました。

まず、「子ども共同体」から「離陸」し、「渾沌」を経験したあと、「大人共同体」に―新たな規範や感受性に―「着陸」します。

近代になると、通過儀礼は、長期の学校教育に置きかわります。学校教育は、複雑な社会に適材適所で人材供給の機能を担う、選別と動機づけの装置です。

その機能を担いきるために、学校教育は長期にわたります。すると「子ども共同体」と「大人共同体」の間にあった切断面が失われ、「思春期」がダラダラ続きます。

選別と動機づけの装置のなかを右往左往するという意味で、大人になっても「思春期」が続きます。社会や自分がつかめない「中二病」の大人が量産されます。(『子育て指南書 ウンコのおじさん 1章 子どもにかまうヒマがあるならセックスしてろ」より)


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