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重度障害の娘・天音さんとの時間を「かけがえのないハレの日々だった」というヒロミさんに嫉妬。

出産時の医療過誤で重度の障害を負った山口天音さん。

生涯首は座らず、コトバはなく、栄養を粉ミルクとにんじんジュースで採り、浣腸でウンチをだす。

母の気配を感じているようではあり、帰宅したドアの音がすると、音は聞こえていないはずの天音さんが、体を曲げて喜びを表す。

その母が久方の訪ね人と夢中になっておしゃべりをしようものなら、不機嫌になり息を止めてしまう。顔色が変わっていく娘を「あまね、いきを、しなさい!」といいながら、そのか細い背中を容赦なく叩くのが母・ヒロミさんだ。

天音さんは24時間、母・ヒロミさんに抱かれることを望んだため、母は人間椅子になりその両手だけが残された。そこで、編み物をし、レシピをメモし、やがて娘の横顔などをスケッチするようになる。ヒロミさんは娘の美しさに惹かれていく。

3人はひとつの椅子におさまっていた

もう30年ほども昔、父・平明さんから自著を送っていただき、激しく惹かれた私は大阪の「日の当たらないマンションの住まい」(そう二人がいう)にお邪魔した。

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この画集は、昨年制作されたものだが、表紙のように3人がひとつの椅子に納まっていたことを思い出す。

この銅版画から、どんな空気を感じたろうか。

ちょっと重い? 暗い? 実際の3人は、ナニワの人たちだった。悲しいくらいボケとツッコミがないと生きていかれない感じ。関東の人間としては戸惑うばかり。口を開くのは親だけなのだが、重度障害児と言われる天音さんも、その瞳で「なんやねん」「どないすんねん」とツッコんでボケていた。

以来、ヒロミさんとはとても親しくさせていただき、困ったり悩んだりしたときにお電話をするのだけれど、なぜか笑う。こちらが嘆けば嘆くほど喜ぶ。こちらの困りごとなんて、鼻クソらしい。ちょっと腹が立つ。

なにしろ、天音さんと暮らした19年間は、しつけだの教育だの給与の多寡だの人の不誠実だの、そんなこんなは意味がない。今日、食べて、眠れて、ちょっと笑えた、ウンチが調子よくでたことに最高の意味があり、幸せはシンプル。それ以外のことは、人生の華。ハレの時間なのだと教わった。

パリへ飛んだ母娘

ヒロミさんは、ほどなく、日本国内いろいろな画廊やスペースで、天音さんを描いた銅版画の個展を開いていく。開きたいという人が出てくるのだ。

やがて、天音さんは亡くなり、父・平明さんは「天音堂ギャラリー」を天音さんのお墓代わりとして、墓守になる。人嫌いの平明さんなのに、天音さん亡き後の寂しさが尋常ではなかったのだろう。平明さんは、ヒロミさんの作品を常設する場所を守って数年を過ごした。

ヒロミさんはといえば、国内だけではなく、パリや上海、シンガポールなどからもお声がかかり、個展を開催。いまや国際的な銅版画家(というと、ご本人は「やめてよ〜」というけれど)なのだ。

まあ、国際的になった人に嫉妬してもなあ。尽くし続ける平明さんがつれあいであることも、そこを言ったら倍返しされそう。でも、こうやって自分を表現する技量をもつ人には、やはり多少嫉妬してもいいように思う。

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写真の銅版画は、私のデスクの前にある。「抱っこパリ」という作品。これは、芳醇な高級ワインのラベルにもなった。

両手を広げてパリを抱きしめる天音さんの笑顔が、母・ヒロミさんに見えるときがある。母は生きにくい。まして、子どもに障害があるとわかれば、自分を横に置く暮らしが常になる。母はいつのまにか子どもの人生を代わりに生きてしまう。でも、ヒロミさんはちがった。

ヒロミさんと天音さん、そして平明さんとの暮らしを、子育て中の人たちに届けたいけれど、ほぼ絶版なので残念でならない。

そんなヒロミさんが、久しぶりに個展を開く。

ヒロミさんの作品に出会うことはできる。一部本も売られるかもしれない。

2020年10月11日〜12月6日(この期間の日曜のみ 11月1日は休館)

AM12:00 -PM5:00(最終日はPM4:00まで)

版画ぎゃらりい「手風琴」

川西市湯山台2−25−21 電話072-741-4270


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