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自分は一体「何者」なのか

大抵、大人になると皆、何かしらの肩書を持っている。会社員だとか主婦だとかエンジニアだとか部長だとか。ポジションや役割だったり職業を表す言葉だったり、そりゃあもう色々ある。

ところで私は、「何でもつくる」というコンセプトで「R-H」という個人事業を運営していて、一応私が作ったものなので私が「代表」になっている。名刺にもわざわざそう書いている。名刺に肩書を書こうと思った理由は『旦那さんが社長じゃないの?』と言われることがあったからで、まぁそのジェンダーバイアスに非常に腹が立ったから、というだけの事なのだけれど。(そもそも会社ではないので社長など存在しない。)

そのあたりから、「肩書」について時折考えるようになった。

肩書というのはつまり、私はこういうものですよ、と端的に説明するものだと思う。会社などの組織に属しているときにはポジションがその肩書になることが多いので自然とそれを受け入れている人もいると思うが、改めて「自分は何者であるか」と考えたとき、果たしてその肩書は自分を説明するに最適なものなのだろうか。

現在私はものづくりをしたりデザインしたり楽器を弾いて歌を歌ったりしている。昨年から動画の配信も始めた。家庭教師もやっている。相談されればコンサルのようなこともやる。

さて、私は何者なのだろうか。

ものづくりをしているのでクリエイター?デザインをするのでデザイナー?楽器を弾いて歌を歌うのでミュージシャン?動画配信しているのでライバー?講師?コンサル?

どんなに考えても、どの肩書もしっくりこない。それはなぜなのか。

実はこの事について考えるとき、毎回最終的に「自信をもって名乗れるか」というところに辿り着いてしまう。そしてどれもしっくりこないのは自分のやっていることすべてにおいて自信を持てないでいるということに気づいてしまうからなのだ。

「とにかく名乗ってしまえばいいじゃん、名乗ったもん勝ちでしょ」という人がいる。別に自信などなくても、自分がそういう存在だと思えば名乗ってしまえばよい、と。そういう人と話しているときはそれもそうだな、結局自分のことだしな、と思えるのだが一人になって冷静になるとやはりそれは難しそうだと気付く。

なぜなら、それができる人は自己肯定感の高い人だからだ。他人の評価は置いておいて、自分が良いと思えばそれを堂々と公言できるというのは自己肯定できている証拠だし、自分に自信があるからこそできることだと思う。

私は自己評価がとても低いとよく言われるが、客観的に見ても自分の立っている場所は平均以下だとしか思えないので、頑張ってみても名乗る勇気は出ない。だからと言って、堂々と名乗れている「代表」が自分を表すのにぴったりかというとそれは絶対に違う。

では、結局私は何者なのか。

「ではない」はたくさん見つかるのに、「である」を見つけるのがこんなに難しいことだとは真剣に考えるまで全然わからなかったなぁ、とぼんやり思ったところで、あ、これだ、と気づいた。

そう、私は自称するならば、クリエイター「ではない」し、デザイナー「ではない」し、ミュージシャン「ではない」のだ。これはとても画期的だぞ!とちょっと嬉しくなった。なぜなら否定するものならばたくさんあるから。

いいぞ、これなら名乗り放題だ!

こういうことなので、私はTPOに応じて自称「〇〇ではない」を積極的に使っていく所存。私に会ったとき「〇〇ではない□□です」と言われた方は、「〇〇をやっているけど肩書として名乗るほどではないのね」とご理解いただけたら幸い。

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