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真面目な文章を書こう、と思ったこと。

私はどうやらストレスを溜め込みやすい性質らしい、と気づいたのは三回目に仕事が出来なくなった時だった。我ながらもう少し早く気づけたのでは、と思う。兆しは学生の頃からあった。

社会人になった後二回引きこもって、三回目、病院に通わねばならないほどストレスを溜めた時「ねばならない」を禁止された。「やらなきゃ死なないこと以外はしなくていい、やりたいと思ったことだけやりなさい」という先生の言葉をずっと胸に刻んで生活している。

暇な時間を無為に過ごすことが私にとってとても大切だという事はわかっている。長く何かしようとすれば、いくら楽しくてもそれは忽ちストレスとなりやがて私は腐っていく。ただ、何もしないでいる時間に苛まれていることも事実で、「休んでおかねば」というまわりまわって訳の分からなくなった「せねば」もどうにも解せない。

何が出来て何が出来ないのか。とりあえずこの状況を打開すべく、数年放ったらかしていたnoteをどうにか活用しようと思って、とにかく日々ずっとつらつらと考え事をしているものを放出してみようと思った。

そう、真面目に文章を書く。

そもそも、私は文章を書いて生きていきたいと思っていた時期がある。物語を書き、詩を書き、俳句や短歌を書いて、そうしてある程度放出したらなぜか何にも出てこなくなった。ちょうど師事していた先生がお亡くなりになって、発表する場所がなくなったせいもあったのかもしれないが、自分には向いてなかったのね、とそのまますっと終わらせてその欲求はもうどこかに行ってしまったと思っていた。

でもよく考えたら、SNSがインスタント状態になる前はずっと長めのブログを書いていたし、COVID‐19が流行しだしてから始めた動画ラジオ配信(この表現が正しいのかどうか知らない)のコメントで「noteに書いて」と何気なく言われたりして、「文章書いてみようかな」などとちょっとその気になってきたので、こうして長々と書くに至った経緯などを書いている次第。

今現在は、どう頑張っても仕事が出来ない不思議な現象に見舞われているのだけれど、こうして締め切りも報酬も発生しないものに関してはどうにか取り組むことができているので、思いついたとき、気が向いたときにだけ書いていこうと思う。

本当は切り良く年始から、と思っていたけれど来年の抱負としても文章を書く、というのは良いかもしれないので思い立った今日から始めてみた。何の益にもならない私の思考を垂れ流すだけのnote。

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