見出し画像

映画「ペーパーシティ」をみて ー 語り継いでいくこと

3月10日は東京大空襲があった日
3月11日は東日本大震災があった日

そして、3月12日は母の命日

私にとっては、なにかと命の重みを感じる3日間となる。

先日、映画「ペーパーシティ」を見てきた。
オーストラリア人の映画監督エイドリアン・フランシスが、東京大空襲の生存者たちを取材したドキュメンタリーである。

1945年3月10日の深夜、米軍のB29爆撃機が低高度から東京を襲撃。10万人以上の死者を出し、東京の4分の1、とくに人口密集地の墨田区・江東区など下町エリアは大半が焼失するという大惨事だった。

映画は、戦争や空襲の記憶が失われつつある今、悲劇の記憶を後世に残そうとする生存者に迫る。

私ごとではあるが、昭和ひと桁生まれの父や母から、ことあるごとに東京大空襲の話を聞かされてきた。だからこの映画を見て、生存者(映画の公開時にはすでに故人となっている)の方々の話がけっして人ごとのようには聞こえなかった。

池袋近くに住んでいた母は、3月10日の空襲のあと同級生を探しに浅草まで行ったものの、右も左も分からないほど焼失し、隅田川は死体で溢れ、その惨状に立ち尽くしてしまったと。同級生の行方はわからず。

父は当時、茨城県の古河にある飛行場で飛行訓練を受けていた。いわゆる特攻隊になる訓練だ。3月10日の夜半、遠く東京の空が真っ赤に燃えているのが見えたと言う。風で火災旋風が発生し、木造家屋はめらめらと燃えてしまったのだと。

こうした話を毎年この時期に繰り返し聞かされ、まるで自分がその場にいたような気持ちになる追体験をするのだが、語り継いでいくということは、そういうことなのだと、この映画を見て改めて感じた。

映画のあとトークイベントがあり、江東区にある「東京大空襲・戦災資料センター」の学芸員の方のお話を伺った。戦争の記録というと、どれだけの面積が焼失したかとか、何人が亡くなったとか、数字ばかりが取り沙汰されるが、その数字の裏には一人ひとりの命があり、日常生活があったという内容のお話をされていたことが印象深かった。

父や母から聞いた話、そして追体験。私が受け取ったバトンをどのように伝え、残していくか。考えさせられる映画であった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?