味噌汁を美味しく食べる〜作家1年目の春〜
大根と豆腐に焼き目をつけて、味噌汁に投入。
別に焼き目をつけなくてもいいのに、この一手間を加えるとき、「美味しく食べようとしてるなあ」とわざわざ思う。
ベランダで育てている紫蘇を2枚取って、丁寧に水洗いする。豚ロースで巻いて、チーズなんかも入れちゃう。フライパンの上で粘度の上がる茶色いタレが、豚肉に絡まっていく。きれい。
母に勧められたドラマを見ながら、ゆるりと晩ご飯を食べる。いい夜だ。
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4月からテレビの仕事が始まった。
関西で35年続く人気番組で、全国でも知られている番組である。その番組が作家を取るのは10年ぶり。一番若い作家さんが40歳。
同時に入った6人の若手作家の中でも私は異質だった。唯一事務所に所属しておらず、何よりテレビ経験がない。「大阪で何年も作家をしてようやく入れる老舗番組」なのに、私は1年目にしてすとん、と入った。
この番組が決まったことをきっかけに15万の時計(金色)を買った先輩もいたし、最初の会議の日の夜に婚約した先輩もいた。それを聞いて、とんでもない仕事をもらったことを実感した。
恵まれている、という言葉がプレッシャーだった。私はこの言葉に打ち勝たなければいけない。
でも、会議で全然話せなかった。
プロデューサー、ディレクター、作家全員が集まる30人くらいの会議では、ターンさえ取れば話せた。もちろん緊張して声が震えたり、思うように言えなかったりもしたけど、先輩方が助け舟を出してくれた。
だけど、ディレクターごとの少人数の会議では、てんで頭がついていかない。アイデアがぽんぽん出てくる。こうやったらどうなる?あれしてみたら?会議中はとても面白い。わくわくする。だけど私がそこに関われない。
やばい、次から呼ばれなくなる。会議が終わったら、ずっと頭の中はそうだった。
もっと色んな人と話せるようにならないと。私は人見知りだから、もっと自然と話せるようになれば、会議でも話しやすくなるはず。全体会議や収録の時は、この人と話すチャンスがあればこれを話そう、とメモして臨んだ。
収録に行く御堂筋線で、不意に涙が溢れた。泣いたらダメだ、とも思わなかった。もっと笑わないと。
気がつけば、電車で泣くのはそのときが3度目だった。
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