見出し画像

人生の後半戦パート5

パート4から少し時間を置いてしまいましたが
良かったら観てやってください。

自分の大失敗から
カイロプラクティックの仕事も辞め
家族とも別れて

名古屋に住んだ時期
全てを捨てて、辞めた時期でした。

ただ、日々を暮らし
働いていた時期

インターネットの世界
SNSも観ていない時期でした。

でも
その生活から半年ぐらいして
湧いてきた想い
『俺はこのままでいいのか⁉️』

そんな時ぐらいから
Facebookを観ることは始めていました。

変わらず活動している仲間の姿に
少し焦りや苛立ちもある時も
たくさんありました。
でも自分はそのままでいいと
言い聞かせながら、普通に働いていました。

でも
そんな時に名古屋でも比較的
近い仲間と会うことになるきっかけ
がありました。

自分が全てを捨ててから初めて
前の仲間にあった瞬間

その人の自宅にいき
色んな話しをする中で
『こんな人知ってる⁉️』って
見せてもらった本が
【内海聡さんの本】でした。
タイトル【医学不要論】

川村もカイロプラクティックの時に
ずっと思っていたことを
内科医の先生が本にしている内容

やはり日本は医師の言葉は入るけど
いちカイロプラクティックの先生では
なかなか伝わらないジレンマを
たくさん経験していました。

でも言っていることはいっしょ
もちろん、内海先生の方が詳しいし、
根拠もしっかりあります。

その本との出逢いが
また、失敗の前みたいに活動を
したくなるポイントになりました。

『やっぱり、自分も健康に
たくさんの人を導きたい』
初心の気持ちに立ち戻ると共に

カイロプラクティックの先生として
人のためになる活動の再開を
誓った日にもなりました。

それから
働いている仕事を辞める日を決めて
復活することをその翌年に決めて
動き始めて

その前に内海聡さんの講演会に
一度行きました。

お話しもすごく良くて
あることも決めて、翌年を迎えていきました。

そして、職場を辞め
名古屋から地元に戻ってきて

カイロプラクティックを再開
そして、決めたことは
【内海先生の講演会の主催】でした。

自分からも伝えたいけど
内海先生の信頼度を活用したい
同じ想いなら
それの方がもっと多くの人に
知ってもらえると感じていたからです。

年が明けてから仲間探しを
始めました。

地元の人で内海先生のことを
応援している人や
【社会毒】と言われていることに
興味関心がある人などにスタッフに
なっていただき

講演会の日にちまで
様々な準備を進めていきました。
【場所は吹上ホール】
400人ほどのホール
当日を迎えて、ほぼ満員状態

大嶋さんの講演会同様
仲間の力は偉大です。
川村は想いをひたすら込めることと
講演会の成功だけに尽力させて
もらいました。

名古屋だけじゃなく
地元の人にも気づいてほしい
そんな想いもあり
愛知県丹羽郡扶桑町でも
内海先生の講演会を主催しました。

年に二回大きな講演会を主催するのは
初めてでした。
でもやりたくて、引き続き
スタッフになっていただいた方々にも
手伝ってもらったり、新たなメンバーに
も加わっていただき

扶桑も大成功ではなかったですが
充分なお客様が来ていただき
自分が復活して、少し自分が
人のお役に立てたなと思える活動は
出来たなと思えました。

それが2014年

2015年はさらに激動の一年に
なっていきます。

その続きは
また、描いていきますね😁

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?