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人生の後半戦パート3

カイロプラクティックの協会を
抜けての船出

川村が取り入れたのが
【耳ツボダイエット】でした。

日本痩身医学協会
様々な先生たちが耳ツボダイエットを
取り入れている協会
接骨院、エステ、整体、カイロなど

協会にいる先生たちは
様々な学びを取り入れている方々が
多く
入ってすぐの時にある講演会に
誘っていただきました。

川村はカイロの協会の時は
その協会の勉強会以外は行ったことが
なく
人生初の講演会
俗に言う【自己啓発】という世界の
お話しは知ることも無かったし
今思うと良く行ったなと
不思議でもありました。

それも『三重県の講演会⁉️』
本当に良く行ったなと
何かに導かれていたのかな⁉️

そして
人生初の講演会
三重県桑名市の大きなホールへ
行きました。

講演で話し人たちは
大嶋啓介さん
てんつくマン
中村文昭さん

当時は何者でどんな活動で
どんなに影響あるなんて全く
気にしてなくて
三重県の先生に誘われて
仲の良かった先生たちが行くと
流れに乗っただけでした。

大嶋啓介さんは
居酒屋てっぺんという三重県を
中心に展開する
朝礼が有名なてっぺんの創業者

てんつくマンは
元お笑い芸人で
今は講演などもしているけど
また、様々な活動をしています。

中村文昭さんは
クロフネカンパニーの代表であり
年間300講演をする
今は落語みたいなこともやっている
話すプロフェショナル

まずは最初から
こんなスペシャル講演会に行けたこと
この講演会が自分の人生を
大きく変えることになること

最初は訳もわからず
ただ聴いていましたが
大嶋さんのお話しから
失敗談をあけらかんと話して
いること
そこからの人生の変わっていく姿

てっぺんだけでなく
講演活動を全国でやっている姿

てんつくマンは
お笑い芸人を辞めたあと
映画を作るって言ってしまい
そこからの波乱の人生と
映画が出来あがるまでのストーリー
話し

そして、当時の笑いを交えた話し

中村文昭さんも
ある師匠に出逢ってからの修業話し
そしてから得た大切にしていることの
話し

当時の川村は
人に人生を語ることも
もちろん失敗談を話すなんて
持っての他だと考えていました。

『もし、そんなこと言ったら
嫌われる⁉️』
患者さんにそんなこと言ったら
どう思われるんだろう
話しを聴きながらもイメージを
していました。

そして
何故か⁉️こころに突き刺さったのが
【日本のため】というフレーズでした。

3人の方が何故⁉️
仕事でも無かった講演活動を
しているかの根本

【日本を元気にしていきたいという
想い】
なので3人以外にもたくさんの
講演している方々がいますが
みんなが繋がりがあり
その他の方々も同じ想いが根本に
あると言っていました。

川村の中で
【えっいいな
自分も後々そんな活動出来るのかな⁉️】
そんなことがもうその時に
浮かんでいたことはすごく懐かしく
感じています。

3人を囲んでの懇親会
講演会には必ずぐらいある
もっと講演者と近くでご飯を
食べながら話せる機会

初めてなのもあり、その存在も
知らないでも
会場で案内があり、すごく行きたい
自分もいましたが
その時は行きませんでした。
でも
すごく後悔しました。

それから
【自分を変えていく旅というか
学びを始めていきました。】

前に描いた通り
【子育てから見えてきた
自分の中にある葛藤
突然出てくる怒り】
それがこの後に何故⁉️出てくるか
がわかってきて

尚更、自分を変えることを
一生懸命やるようになっていきました。

仕事よりも
土日は特に自分を変えることに
集中していました。

心理学のセミナーだったり
様々な人の体験が聴ける講演会
耳ツボのセミナー

そうすると同じ価値観の人と
お客さん同士で出逢うので
仲良くなったり、逢ったりする
機会が増えてきて
尚更楽しくなってきていました。

少しずつ
【自分の変化】が起こってきて
いました。

一番変わってきていたのが
【感謝することが増えたこと】

ありがとうを毎日たくさん
言った方がいいと聴けば
実践したり

夢を描いた方と聴けば
100個描いたり

子育てに活きることが
あれば、即実践したり

過去に感謝したり
両親への感謝
色んな実践をする中で

一番抵抗していたのが
【自分の人生を肯定する、
すべてには意味がある】

このことだけは
すごく時間がかかりました。

長年苦しんできたいじめの記憶
いじめた奴らへの憎しみ

ありがとうをしたり
出逢いが増えていく中で
前よりはその想いが薄れていて
いる感覚はありましたが

ある時に
『あっもういいかも』って
想えるタイミングを感じました。

川村の長年の腰痛
芯にある痛みはずっと怒ったり
過去を思い出すとうずく痛み

その痛みが
その瞬間に消えていく経験も
しました。

感謝や自分の人生を
見つめ直しいくことが
ある瞬間に同時に変わる経験

後々にわかること
『腰痛は怒りである』を
この自分を変える一年間でも
体験していました。

自分との関係性も良くなり
子どもへの怒りも無くなり
そして、先生以外の仲間が
めちゃくちゃ増えました。

そこで
想っていたのが
『あの3人みたいに
講演会で話してみたい、人に
勇気を与え側になりたい』
あの講演会で想っていたことを
叶えたい自分

それも大事でしたが
3人の中でも【大嶋啓介さん】の
影響を受けていたので

『大嶋さんを地元の愛知県犬山市に
お招きして、講演会を開催した
これだけ変われた恩返しがしたい』

そんなことを
自分を変えると決めてから半年
ぐらいで考えていました。

仲間も
増えてきて、その人たちに
手伝ってもらいながら
やってみたいって想って動き出しました。

【初のイベントであり、講演会の
主催】
ただの想いだけでやっていました。
集客の仕方もど素人
何をしていいかもわからないまま

色んな人のやり方や
セミナーに参加してチラシを
配らせてもらったり

とにかく
たくさんの人に大嶋さんの
話しが聴いてもらいたい

自分のように変わるきっかけを
作りたい
そんな想いを届けながら
活動していました。

スタッフにも恵まれて
たくさんの知恵を出し合って
平日という日取りも関係なく

蓋を開けてみたら
お客様は満員御礼になっていました。

1人では絶対
出来なかったこと

昔から繋がっていて、応援して
くださった方
その半年で繋がって、想いを
聴いて手伝ってくれた人たち

初主催をやる中での経験は
今にもめちゃくちゃ活きています。

講演会自体の内容も良く
多くの方に喜びの声をいただけて
良かったです。

そして
主催者としてのお客様への
あいさつの予定が無かったのですが

あいさつをすることに急遽なり
させていただきました。

でもこのことが
ラジオパーソナリティーに
めちゃくちゃ繋がっていきました。

後日
連絡があり、『ラジオゲスト出演の
声がけ』でした。
お客様の中にパーソナリティーの
方がいて、声をかけていただきました。

愛知県犬山市にある、
コミュニティラジオ局愛知北FMへ
すぐ、ゲスト出演をさせていただき

『ラジオで話すのって楽しい』
そんな印象でした。

そして
ラジオパーソナリティーの募集を
していることがわかりました。

出来るのか⁉️確認をして
応募だけはして、帰ることに
しました。

『まぁいつ出来るか⁉️
わからないし、出来たらいいな』
ぐらいで考えていました。

たぶん
1ヶ月も経たない内に
連絡があって

『川村さん、パーソナリティーの
空きが出来たので
まずはアシスタントからどうですか⁉️』
って連絡がありました。

まずは
やれることもびっくりと
早くに連絡が来たことのダブル
びっくりでした。

そして
初のラジオでアシスタントとして
話す日

ラジオ局に出向くと
川村1人とPA(機械を動かす人)しか
いません

そして
聴いてみると
『えっ川村さんだけですよ
よろしくお願いします』の声

『えっマジですか⁉️』
いちよ話すかもで原稿的な
ものは持ってはいきましたが

いきなり
1人での番組
テンパというか
話すことが上手くて、得意だから
始めるわけではなく
これから【話し家】になりたいから
やってきたい想いだけだったので

2時間番組を1人でやれる
頭も気持ちもないまま

どうしようもなく
生放送だし、スタートの時間に
なっていました。

そして
ラジオ番組がスタートまでに
します。

めちゃくちゃな話しが
本当の話しです。
大袈裟でもなく
いきなりパーソナリティーデビュー⁉️

今、考えても無謀というか
アホですね😅

さぁこのあとの展開は
また、描いていきますね

今日も読んでいただき
ありがとうございました😊

12年前からの
人生はいいことも悪いことも
かなり濃く出来事が起きてます。

描いてて、自分でも
笑えてきます。

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