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CHANE

田舎に生まれたのがよくなかった。

私もそうちゃんも同級生だったこともよくなかった。全部全部よくなかった。

小さな田舎で私たちは同級生で幼馴染。誕生日も私が10日ほどお姉さんなだけで、いつもいっしょに過ごせてしまた。過疎化したあの田舎で遊ぶのはお互いくらいしかいなかった。バカみたいにきれいに育つ私とそうちゃん。ふたりで上京した。引く手あまたで、うっかり華やかな世界に引っ張り込まれてしまった。

幼馴染なの、とか、きょうだいみたいに育ったのという言い訳が通用しないのがこの大都会だった。

いつも疑われ、いつも嫉妬にまみれ、いつも攻撃された。それでもそうちゃんは私を守ったし、私も必死にそうちゃんを守った。

火のないところに煙はたたない!そう糾弾されるたびに私は押し黙ってしまった。

なぜなら、そうちゃんと私は中学の時に互いを知ったからだ。相手はお互いしかいなかったから。そんな言い訳も通用しないのがこの大都会だ。


ふたりで上京を決めたのは大学進学がきっかけだった。共に私大へ進学したから親も金銭的な理由で私たちをルームシェアさせた。何も困らなかった。中学1年生の夏から私たちはそういう関係だったからだ。彼氏彼女という概念もないほどに互いがいっしょにいることが当たり前だった。

大学生になってはじめてと言ってもいいかもしれない、互いを独占しあわないと危うい状況にさせられたのは。

大学三年生の時、奇しくも私たちは同時にモデルのスカウトをされた。同時だったから、同じ職業に就けるね!とおおはしゃぎで二つ返事でモデルをすることになった。

それもまた間違いだったわけだけれど。

私たちはたちまち人気者になった。

マルチタレント路線で進むそうちゃんには幾人ものファンがついた。私はもともと演じるとか振舞うことが得意ではないからモデル一本でやっていた。よくしたもので、開示するものが少ないとミステリアスという評価と魔性の女という評価がついた。

そうちゃんは明るくフランクで接しやすい、ファンと近しい存在だったからそんなことも私たちには互いのファンに嫌われる要素だったのだろう。

そうちゃんと会えなくなる日が今後さらに予測される。わかっているけれど、なんとか打開しなければならない。

打開しないと私は私になれないだろうから。。。


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