ちょうどいい混沌、ちょうどいい温度、そして鳴動
ワタシ?
体は私、心は?
一体……誰なんだろう?
私という存在の中には…
いくつかの私がいる…。
いったどれが本当の私で…
いつから分離を始めたのだろう。
②は多分本質的な部分で、肉体を通して②を感じる為に自分が持って生まれてきた。
①のエネルギーがそういう色合いなのは上部を実行するための性質なのだろう。
注:以下は込み入った精神を表現した物であり少し理解に苦しむだろうが、個人的にはこの言葉以外はその感情に属さないものとして排除した。
ここ最近の傾向↓
(うーん🧐言いたいことわかる?)
(まぁ良いや、)
正直わからない!
この表現を良しとする私の自我が私自身理解に苦しむ、この自我が一体何者なのか、選択すら必要とせぬ精神がおそらくたどり着いた自分だけの形。
選択という物、は残留思念となりつつある①(俺の縄張り)の増大を許してしまう。
境界から引き戻され、生の選択を余儀なくされた場合には魂は、あいも変わらず駄々をこねる。
彼(俺)はうるさい、屁理屈をこね、揶揄し、矛盾を許さず、徹底的に理解しようとし、またそれを共有する事を是非とする。
実に困ったやつである。
しかし、私(②の私)は彼がやはり不憫ではならなかった、
だから『僕』という存在に彼を取り込むよう、凪の視点を思い出させた。
(これは私が僕を生み出した)
確かにそれ以降、僕という魂の形を少しずつ自分自身の感覚が描き出そうとしている。
それもわかる、その道の延長線上に尊我(仏教的な意味ではなく、敢えてbirakochaとする)という自我が存在することも、感じている。
確かに①が捉える感情と、答えとが存在するが、完全にそれすらまるで他人事のように、第三者(不確定要素満載だが多分に我という狂人を生み出した存在)の目線から、物を言えるような感覚的、精神的、周波数を扱えるようにはなってきた。
内在していた何者か
でもこれは多分、おそらく昔から存在していたかに思う、
書くことがそもそも昔から好きだった、小説を書いたり、大きな存在たる何かの目線から何かを追求する時良く論調、書く言葉の特徴が完全に変わっていた経験がある。
視点は口調は観点は常に自分の中に存在する、何者かだった。
彼はおそらくずっと私の中に生きていたのだと思った、
特殊な感じ方、思考の傾向、探究心、矛盾の見つけ方、よしとする精神性、純粋さを嗅ぎ分ける嗅覚、べき論などは常にその何者かの所有物だったと感じる。
その恩恵の元、私という人格は、世界との乖離の狭間でもがいたのだろうとも思う。
結局思う。
私は誰?
私は一体何者か?
noteの始まり
noteは必然だったのだろう、ここに書く文字全てが、叩きつける全ては、第一に私の魂自身の為だった、ある事をきっかけとし、がむしゃらに全てをぶつけた。
初めに書いたare you birakochaの冒頭は以下
私の魂が二度と迷わぬよう、少しでも求めた答えに近づけるよう、同じところをグルグルと回らぬよう、書くべき物だった。
これを全て書き切った時、命を絶つことすら視野に入っていなかったかと言われればそれは否定はできない。
are you birakocha?
何故私が名乗った名は
are you birakocha ? なのか
この問い掛けは何なのか、
マヤの伝承上のviracochaは過去の遺物
第四の太陽を伝え広げた伝道師
知識を伝え、導いた者。
私は迷い、求め彷徨い、探し求めた、新たな世界の礎ともなる、生まれるであろう、新時代のビラコチャ。
私はビラコチャでは無い、求め彷徨い、もがき、苦しむ者、当てた字のbirakochaが違うのは、新たに生まれる事を意味させた、羽ばたく鳥を冠する者の為にkを当てた。
この問いかけに反応するようなものが存在するのかすら知らなかったが、それを願いとして行った。
しかし、不思議な物でその問い掛けに、反応した者がいた、奇跡的とも呼べるこの事象には正直、照れ笑いしてしまったのも事実であり。
そこを起点に、様々たる狂人を知る事となった、
…彼らは皆birakochaであった。
私は知らなかった、この日本にこれだけの聡明な魂の数々が存在していたとは、知らなかった。
私は長年世界にただ一人、暗い部屋においやられた感覚であった。
noteは新たなる自我の起こりの起因となる兆し、そこに私を追いやることになった、元凶、主は、人の世界へと戻っていった、私はまた一人となり、狂人たるを追求せざるを得ないのだろう
確かに全てを恨みもした、私を狂人として産み落とした全てに、怒りも湧いた。
様々な温度を経て、私の心が感じるべきものの中で私自身を温める何かを手にしようとしているのだろう。
美しき死
新たに私の中に生まれた神イシュタブが何なのか、おそらく既に存在していたであろうそれは
私の中で、浮かばれぬ者達のために存在せねばならなかった神だったのだろう。
事実、マヤの自殺の神イシュタブは、浮かばれぬ者達を癒さんがために存在した。
私の中で死は完成した、ついに形をなしたのだ
あるべき死のために、如何に生きるのか。
それだけを、ただそれだけを…望んでいた
頼むから生きる意味を教えてくれ、その想いしかなかった。
そして首を吊る神に心を寄せた、崇高な死に想いを寄せた。その名はイシュタブというマヤにしか存在しない神だった。
死の女神だけは私を肯定してくれる、そう感じざるを得なかった。
命の鳴動
あっシフト作らなきゃ🤭(現実😤)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?