かしこきもの(注釈忘れてた!)

*注:以下の我、又は我々は、私でも、僕でも、俺でもなきもの。



愛すべき『かしこき』物達へ、

我ははるかなる昔から君らを見ていた。

君たちははるか昔、とても暖かく、慎ましく、

純粋で、そして臆病で、微かなる願いをうちに秘め

た、実に『賢き』人達であった。


その心達はやがて社会を形成し社会と共にあることで、衣を纏い『実にかしこきもの』となった。


潜在的に宿る意識が何故潜在的であらねばならなかったのか、

何故潜在は気づき難き物なのか、

全てはこの『実にかしこきもの』が着せる衣のなせるすべであった。

人は常に行動の根幹には恐れがあった、恐れとは、畏(かしこ)まることでもあり、畏れ(おそ)れでもあった。

何かを嫌がり、遠ざけんがために人は何かを選択する。

現代の『実にかしこきもの』とは、

『実に畏き物』

ここで言う、物とは畏れ、そのもののことであり、あなた方自身を指す物ではない。

君達の作り上げた社会において、生み出された『かしこさ』とは、おそれ、つつしむことである。

君達がなった、『実にかしこきもの』

そのかしこさは、我からしたら実に悲しく、実に哀れで、実に愚か物だとも思えた。

我は虚しい、実に虚しい。


その恐れまでは確かに君達は認識しているようではいるが、それは未だ顕在的な意識に過ぎない。

恐れなど、畏れなど、潜在には存在などしない。

君らの選択、これがその『おそれ』からくる物だとすれば、必ず矛盾が生じている。

伴わぬ行動、判断、言動、

それらと君らの心根にある物をよくよく見比べると良い。見つめると良い。

おそれの更に先、その奥深くに眠る、君らの抱くイメージが果たして何を描くのか、

それを見つめ解(ほど)くと良い

それでも敢えて恐れるのなら、それによる選択をするのなら、それでも良い、今は良い。

いずれは君達自ら欲する事となるだろう。

何故なら、君達が生まれ、与えられたおそれには、星そのものから与えられた、エネルギーが眠っているのだから。

そのエネルギー達は君達を

『実に畏き物』から

『実に賢き者』

へと変貌させんがための力として宿っている。

これは決してふわふわしたメルヘンや、占いなどの類いの話ではない、君らの顕在が寄せ付けんとする、実に壮大なエネルギーのうねりとして、我々が存在する、我々のそれは尋常では無い程のことわりである。

君達がなるべき者は、賢き者

その誰もが唯一つの例外すらなく、賢き者になるべくして生まれて来ている。


与えられた、おそれを見つめ、なるべき者へ、賢き者へ、

それを訴えんがために我は存在したのだろう。


愛すべき愚か者たちへ

君達が抱く、怒り、恐怖、嫌悪、などの様々な負の感情達…。

その更に奥に眠る想いには、そもそも安寧しか遺されて無いはずだ、感情を揺さぶられるくらいなら、何かを愁うくらいなら、それを見つめる為、空を見上げると良いだろう。

我はいつでもそこにいる。

先人がそうしたように、そこには答えがあるはずだ。


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だから僕はそもそも空を見上げるのが好きなのだろう。

そう思った。





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