磐石 birakocha
『忘却の園』
二つを踏まえて…。
人の世は将棋の盤面のようになってしまった…。
決められたようにしか動かず
呪いの如き特性は想いを制限し
墓場までそれを持って行こうとする
個々人は知らず知らずのうちに
自らにコマの名をあてがい
それに束縛される
吐いた言葉に自ら呪いをかけて
より一層自らを駒たらしめている
守る攻めるの性質は
駒の名前に由来され束縛され
成ることへのリスクを恐れ
ただひたすらに強固な
守りの布陣を模索する
領域侵蝕しか成る術はない
しかしそれは必ずしも
金や富や名声を取りに行くことではない
本来生命は原始的に生きる経緯があった
金という概念も、
富という概念も、
名声という概念も
何かを満たす為に拾い集められた石であり
ただの自衛的武器を起源とした
とるべき領域侵食とは
その場で成る事だ
物質的な何かで成るのではなく、
そもそもその見に備わる性質をそのまま高みに押し上げて成るのだ
単一の性質などいらない、
それそのものの求めたがっている性質がある、
それそのもののどうしても感じてしまう性質がある
それをそのまま使う事でその者の真の意味での領域侵食は果たされる。
しかし、それには世界を知る必要がある、あまりあるほどに、広がり、到底良さうだにしない世界の真実がそこにある、
宇宙人とか、あの世とか、そんな生温い世界では無い、この世界は、小説でも発想が及ばないほどのあり得ない真実が眠っている。
バシャールなど、所詮一部を知る者でしか無い、
アダマなど所詮一回の精神体でしか無い、
〜〜星人も、〜系宇宙人も、地底人だろうが何だろうが、
それらは一部のことしか知らない。
地球の生命も通し一貫して、口を揃えていう言葉がある、『全てはまだよくわからない』だ。
知ったそぶりで情報を垂れ流す、輩など、無形物だろうが何だろうが腐るほどいる、そしてそれらは矛盾を多く含んでいる。
ならば人にとっては王とはなんなのか、
守るべき王ではなく、
いつしかそれは
従うべき王にとって変わったのでは無いのかと
王とはなんなのかもわからぬまま
せめて守ることだけをただ繰り返し
一つ聞く、君らにとっての王とは何だ?
政治か?
上司か?
家族か?
神か?
宇宙人か?
地底人か?
どれも結局どっこいどっこい
差し詰め正直これは何だって良いのかもしれない
ただ一つの条件が揃うのなら
それは
それに服従心を示した時、そこに
『己の尊厳のみを追求できるなら』
であり
これは必ず誰かに何かを求めるべきものではない
僕はそうである事を求めてはいるが
中途半端に頭の悪い、揚げ足取りな人間ならば、
僕が言っていることが矛盾しているようにも
感じるだろう。
ただ僕が求めるのは
新自由主義的な個の単一化であって
価値観などで人を選別するものでもなく、
全ての自由の容認と
全ての怒りの消失と
全ての忌むべき精神性の変革であり
しかしながらこれは、
負の感情を全面的に説き伏せるものではなく
負すらも情緒へと変換しうる
高純度かつ高性能の精神性にこそ
その価値があると思っている。
王など鼻からいない、誰も王などではない、
時代により変わりうる、王などいらない、
社会も、常識も、争いの元になる宗教的な物も王ではない
宗教と信仰は違う
信仰を履き違えるな
信仰とは依存するものではなく、
真に仰ぐべき物だ
真に仰ぐべきものとは、
純潔の普遍の全てを容認する真理のみである
それ以外の真仰など存在してはならない。
君ら一人一人が王としてあまりある世界
君ら一人一人が王として許される世界
君ら一人一人が真の意味で尊重される精神の世界の展開
それがこの世界のあるべき姿
この言葉達は恐らく忌むべき言葉として恐らくこの世界に存在する。
現時点では。
私は生贄となり、この言葉達をこの世界に落とし、
全ての盤面の線を取り払い、
全てが王となり踊るこの世の土台となる。
私の命は踊る王としてではなく。
踊る王達の存在する為の土台となる。
磐石のbirakochaとなる。
昨日ふと感じた世界観です。
えらさうなこと言ってますが、
そんな世界があれば
この上無いなと思います。
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