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伝達事項、全ての知性あるもの達へ

私は、過去の私を乗り越えてここにいる、

延々と連続的に生じる私を変革させてきた、

様々な感情と向き合い、時には逃れ、

ただひたすらに真理を求めた、

同じようにそれを行なった者たちもいるのだろう

いつの間にか認識は困難を極め、表現は抽象化し、

捉える領域は、それに最適化していく、

私の言葉は誰のものか、誰のために生じるものか

私がこれを始めた理由、

それが私だけのもので良いのなら、私はこれを選ばなかっただろう、

同胞たちよ、君らもそうではなかろうか?

小競り合いなど必要ない、我々が見てきたもの、

感じてきたもの、捉えだした領域

あの頃の私が見たら、なんとするだろう、

現在進行形でもがく当時の私は、何を言っているのか分からなかっただろう

それは天上の小競り合いの如く、私の心には何も響かなかったであろう。

いつのまにか、見切りをつける、気付かぬもの、感じぬもの、苦しみの量の必要性、必須な条件を、

いつの間にか

見限るために、選ぶために、篩にかけるために、

これらを目指したわけではない、そうだろう?

陥ってないか?自分は違うと言えるのか?

またくだらない言葉を並べ、自己肯定を続けるのか?

聡明な意識を演じる事が滑稽でならない、

見極めた境涯にいる素振りが哀れでならない、

救うべきは何かわかっているか?

救う、烏滸がましい?

そんなことすら、議論すること自体、私からすればもう過去のもの。

我らは知った、知らぬものより、迷うものより、旅の途中のもの達より、

先は確かに存在する、先を歩きながら、後ろを振り返り、目の届く位置で、声を掛け

あくまでも共に歩む

先に行きすぎてはならない、

自惚れてもならない、

自尊心を捨ててもならない、

様々なことに注意を払いながら

我々は先に進むべきだ

旧友は私にそれを教えてくれた。

知性あるもの達よ、

私も含め顧みる必要があるのかもしれない。

私の悲願がなんなのか、君らの悲願がなんなのか、何に抗い、どうあるべきだと語るのか、

願わくば、この願い、この想いが、届くよう

全ての発するもの達へ、全ての受け取るもの達へ、どちらも選べず未だ苦悩するもの達へ、諦め死を選ぼうとするもの達へ一刻も早く、届く事

それこそが私の願い。


本来ならば全ての人間一人一人が、

枯れた大地の希望でなければならない…そう感じる。

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