未来を具体的に想像すること。

私が信仰を持っているのは皆さん、ご承知のことだと思うが、私の祈りについて少し書かせて頂きたい。

仏典に「心如工画師(心はたくみなる画師のごとし)」とある。優れた画家が、あらゆる生き物を真に迫って描くように、心がすべてを作り出していく。心の在り方一つで人生も決まる。「心こそ大切なれ」である。https://taisyodo.exblog.jp/9595939/

とあった。

私は、その教えを”未来を思い描く”と捉えた。その通り、空想が妄想を呼び、いつしか地に足がつかない状態になって、大変な目に合ってしまったのだ。

一つを話すと、日本人は自分を含めて日本語がうまくないから、言葉の王様か誰かに”世界日本語指導”をぜひしてもらいたい。と野望を抱いた。

どうしてそれが辛い目に当たったのかと言うと、心理面、精神面、経済面などの負担は一切考えに入れなかった祈りだったからだ。


要するに、絵に描いた餅だったと言うこと。ʕ •`ﻌ•´ʔドヤァ


今、ある意味TwitterというSNSツールがよくそれを示していると思う。

しかしながら言葉は、よく理解して使用しなければ恐ろしいものだと思う。


また、よく「未来を具体的に想像する事は大事だ」とhow-to本に書かれているもしれないが、私はNOと言いたい。


「未来は、現在の因によって形作られるのだから、安心して今を精一杯生き自然な因果で幸せになって行けば良い」と強く思う。


これは人生に当てはめたときで、政治・経済・文化・教育などは、未来設計をよくした方がいいのは言うまでもない。

もしかしたら、庶民の生活を司る政府こそがもっとしっかりと各人の幸福感を具体的に捉えられれば、私達も価値創造を膨らませ、自然と生きる喜びを実感できるのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?