〜いざ中学へ〜
前回は「生まれ~小学生」について書きました。
続いて中学生に移ります。
◇進路選択[中学校]
私の住んでいた藤枝市には私立中学はなく、
自動的に公立中学校に進学することになります。
静岡市内に出れば私立の頭のいい中学校はあったのですが、
周りにそんなお受験をするような友人もいなかったこともあり
当時、私立中学の存在自体知りませんでした。
そのため、特に選択をすることなく藤枝市立藤枝中学校に進学しました。
◇進路選択[サッカーチーム]
ただ、サッカーチームにおいていくつかの選択肢がありました。
・藤枝市立藤枝中学校サッカー部
・藤枝東FC [ジュニアユース]
・エスパルス藤枝SSS
・藤枝明誠SC
・ACMブルックス
公立中学の部活動に所属する他に、クラブチームに所属するという選択肢がありました。
小学6年生の時にセレクションを受けて合格すると、
クラブチームへの入団が可能になります。
中学校によって制度は様々ですが、私の中学では
クラブチームに所属する場合は部活動に参加しなくてもよいということでした。
クラブチームの方が部活動より「強い」「かっこいい」という風潮がありました。これは「空気」と言ってもいいです。
地区選抜メンバーはクラブチームに流れるというのが当時主流だったので流されるようにクラブチームを受けることにしました。
単純に一番強いクラブチームでサッカーをすることが「かっこいい」と思っていたので、長期的なサッカーに対する考えはほとんどありませんでした。
唯一あるとすれば、藤枝東FCに入団すれば藤枝東高校に入りやすくなるのではないかといった楽観的な考えです。
(結果的に高校受験に影響することになりました)
「強い」「かっこいい」という観点から、
藤枝東FC > 藤枝明誠SC > エスパルス藤枝 という個人的な序列で受験していきました。浅はかな考えだなと思いますが、当時から承認欲求とプライドが高い人だったんだと思います。
それぞれのセレクションは、
一発勝負のものもあれば計5回ほど受験できるセレクションもあります。
一番行きたかった藤枝東FCは一発勝負。
25人の枠に対して80人が受験しました。
藤枝明誠SCも同じくらいの受験者がいましたが数回も受験ができるシステムでした。選抜チーム(県選抜や東海選抜)に選ばれる選手は藤枝東FCを受験し、落選してしまった場合は他のクラブチームを受験していました。
地区選抜止まりの私は、確率でいうと藤枝東FCを受けることは賭けでした。
◇藤枝東FCへ
幸運にも25名の中に選ばれ、晴れて藤枝東FCの3期生となりました。
1期生には、河井陽介選手[現清水エスパルス]、村松大輔さん[元清水エスパルス]が所属していました。同期は私よりも実績がある選手ばかりで正直試合に出れるのか、練習についていけるのか自身がありませんでした。
唯一良かったことは、自分のプライドを保つことができたことです。
「部活ではなくクラブチームに入った」という事実。
当時の私にはこれが大事でした。
満足した進路選択でしたが、今思うと本当に運に恵まれていただけの結果でした。人より努力して勝ち取った合格ではありませんでしたし、これが逆に自分をさらに勘違いさせてしまったかもしれません。
人としての成長という面では、この時何も得られていなかったと思います。
社会人となった今、多くの選択肢の中から取捨選択を強いられます。
簡単にクリアできるもの、手が届きそうなもの、今のままでは到底難しいもの。しかしそんな時、つい簡単な選択をしてしまいがちです。
良い意味でプライドを持って、そこに努力を注入し、挑戦していくことが大切なんだと。どんな結果だろうと努力し挑戦したことで得られるものはあり、学ぶこともある、そして成長できるのだと考えさせられました。
次回は、壮絶な中学3年間を書いていきますので
楽しみにしてください。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?