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山麓ことば暦帖:〈凍み抜け〉

山麓に住むようになって初めて知った言葉に〈凍み抜け〉がある。
冬の間、凍てついて岩のように硬くなっていた地面が、気温とともに緩んで柔らかくなり、ふたたび耕せるようになることを言う。

浅間高原の冬は、雪は少ないかわりに冷え込みはきつく、いったん根雪になると氷の層になり、土中も深度1〜2メートルという深さで凍みてしまう。だから今でも冬場は、ハウスものを除いて路地ではなにも栽培できない。秋までに蓄えた作物で、5か月近い長い冬をなんとか凌ぐしかない。自作農だけで暮らしていた人たちにとって〈凍み抜け〉は、命にも関わる、待ち遠しい瞬間だっただろう。

今年の凍み抜けは例年より早く、3月の上旬には大抵の畑地がぬかるみ、土の香りが嗅げるようになった。(遅いときは4月に入っても抜けきらない年もある。)
4月になって何日か陽気が続いたある日、雪の消えた庭先の落ち葉の下から乾いた土が見えたときは、思わず両手ですくって顔を埋めたくなった。視線をあげれば、まだ白い服を着ながらも柔らかい表情に変わった浅間山が、そんな人間の仕草を見て笑っている。
この瞬間にこみあげてきた嬉しさと、やっと身体中から緊張が抜けるような感覚を通して、数十年前、数百年前、この土地で暮らしていた人と、言葉ではないもので通じ合えたような気がした。

やっと、来ましたね、このときが。
これでもう、だいじょうぶ。

〈凍み抜け〉とはどうやら、物理的な地中の現象のことだけではなく、その上で暮らす人間の心のありようも指す言葉だということを、20回近く冬を経験して初めて気づいた。

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