見出し画像

今日のバトーさん(2)桜岩地蔵堂の馬頭観音

つづいて紹介するのは、わが家からもっとも身近な(毎日の犬の散歩コース圏内にある)バトーさんです。

桜岩地蔵堂。奥のお堂には地蔵尊が祀られている。

北軽井沢と嬬恋村大笹を結ぶ県道沿いにある「桜岩地蔵堂」。
浅間高原をドライブしながら、車窓からずらりと並ぶ幾体もの観音様を目にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
この「百体観音」こそ、<六里ヶ原>の歴史を今に伝えてくれている貴重な史料です。

浅間山の裾野に広がる原野だった六里ヶ原。浅間山が噴火をするたびに直接被害を受けてきただろうと思いますが、特に1783年の天明の大噴火では、一面が火山灰や砂礫に埋まり、道かたは消え、雪が降ったり霧が出たりすれば旅人は方位を失い、死人が出ることもたびたびありました。
天明噴火から20年余りが過ぎた1808年、そんな状況を見かねた分去茶屋の助四郎という人が、近隣の人々に寄進を呼びかけ立てられたのが、合計100体の道しるべ観音でした。
現在の「砂塚」(国道146号の長野県との県境に近い砂防ダムのあるところ)付近にあった「上の分去茶屋」を基点として、沓掛(中軽井沢)方面、狩宿(今の応桑)方面、大笹方面の3方向に、それぞれ1番から33番まで33体ずつ、基点観音を加えて計100体が設置されました。その間隔が一丁(約110m)ごとだったため「丁杭観音」とも呼ばれています。
広大な原野に一定の間隔で現れる観音様の存在は、地図もナビもない当時の旅人にとってどれだけありがたかったことか・・・。

その百体の観音の中心、基点となっていたのが、こちらの馬頭観音です。
100人(体)のグループを従えるセンター(?)としては、いささかお顔が頼りないような、優しすぎるような、(えなり君にしか見えないような・・・)バトーさんですが、台座や舟形の後背も立派ですし、ウマの顔の部分にも朱の色が残っていることから、当時はもっと華やかなお姿だったことでしょう。六里ヶ原の200年以上の変遷を、静かに見守り続けてきたバトーさんです。

あら…、よく見たらお顔に鳥の落とし物が…。
森羅万象を静かに受け止めるバトーさん。


100体あったはずの道しるべ観音ですが、2百数十年の間に大部分が盗まれるなど姿を消してしまいました。開発が行われるなかで致し方なかったかもしれませんが、今も本来の場所に残されていれば、昔の街道の面影が感じられ、壮観だっただろうに・・・と残念です。
残っていた30体ほどがここ桜岩地蔵堂に集められ、平成に入ってから復元されたものもあわせて、参道の両側に並んでいます。
北軽井沢の交差点からも徒歩15分ほどですので、散歩がてら会いにいってみてください。

こちらのバトーさんは、わが家の犬も顔見知り。


▼長野原町発行の『ジオなまち ながのはら』のなかで、もう少し詳しく紹介しています。

https://www.town.naganohara.gunma.jp/www/contents/1492055003482/files/1906-mitishirubekannon.pdf

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?