『フラジャイル・コンセプト』


序4
先にコンセプトを決めてそこからそれを直線的にものをもっていくのは単なる作業であって作るでは無いのではないかと感じてしまうのである最初に全くコンセプトがないわけでは無い。始まりにはこんなことをしたら面白くなりそうだなと言う感覚があってそれをコンセプトと呼べないこともない。ただそれはあくまできっかけ。物事を先に進めるためのエンジン、あるいはとりあえず背を押す仮説のようなもので、その仮説を試してみれば、たいていは最初の感覚とずれてくる。

p.113
言語化できる要望だけから作られた建築は往々にして常識的になり、逆に言語化できない要望に肉薄すればするほど建築は常識から逸れる。

p.114
吉本ばななの『キッチン』を思い出させるつくり。眠るため

の部屋が先にあるのではなく、まず自分の居場所として家があって、その中から眠るのに1番良い場所を探してそこで眠る。

p.115
そうして実際に使うことで初めてそこで行われることが決まってくる建築。まずは動くことで何かが生まれてくる建築。そしてそういう理想の建築をさして僕は「動線体」と読んだわけだけれども、これがその後20年にわたる僕の仕事の方向性を決定づけてしまうと言う事は知る由もない。

p.125
建築についての知識が必要であってそれを持たない人にとっては通じないそれではまずくないだろうか知識がなくても背後の文脈を知らなくてもただ見てわかる範囲でものは作られるべきではないだろうか。

p.133

ライアン・ガンダー
もし意味内容が流動化すれば目の前の世界は違う見え方になる。今見えている世界のすぐ裏側から別の世界が顔を出すそしてそのことが常態化すれば今の目の前の世界はいつもかりそめであって絶対出ない、と言う感覚に至る。たまたまそのうちの1つがアクチュアルになっている。だけど、その背後にはいつでもバーチャルな世界が溢れている。それはある意味「自由」の感覚だ。意味内容を括弧に括ることを徹底すれば、意味が宙づりになった状態のつまり自由の感覚の質が残ることになる。

p.163
チューニングとは、目の前の具体からはじまって、それを一つの理想を体現した具体に近づけていく行為なのである。
チューニングが開始される段階では明確には目的地は見えていない。
こうした設計の仕方が嫌うのはコンセプトという言葉だ。まず目的地を決める。すると、設計というのはその目的地に近づくための技術にすぎなくなる。コンセプトという言葉が出てくるときには、そういう思考が背景にある。いかにきれいなコンセプトをつくるか。いかに綺麗にコンセプトが見えるようにするか。そういう考えに飲み込まれるとき、建築はメディアに堕ちる。チューニングというのはコンセプト批判でもある。

p.178
流山おおたかの森小中学校
空間と人の行動の関係をうまく調停している。つまり、空間が対して人の行動を誘うきっかけにはなっているけれど、行動の内容を強制していない。プライベートとコモンとの間の好きな状態にチューニングすることができる。

p.182
普通は「つなげられるもの」があるから「つないでいるもの」が生まれる。と考える。しかし本当はその逆で、「つないでいるもの」が先なのではないか。まずは動きまわるということがあって、そこから徐々にそこで行われることが析出されていって、最終的に機能空間として固定していくものではないか。

p.188
「アフターファイブガバメント」北澤潤さん
5時までの表の役所に対して、5時に開く裏のオルタナティブな役所という意味である。
テナント
お惣菜屋→給食センター
タップダンススクール→健康推進課

p.230
完成した全体性か、仮設の全体性か。
完成することが大事なのか、流動する物事をそのまま捉えることが大事なのか。アートか建築かというジャンルの違いはおいておいて、つくるということのなかに、こういう正反対の姿勢があることに僕は衝撃を受けた。
完成された全体性ではなく、つねに仮設にとどまる全体性を基礎として物事を考えていくこと
全体性が仮設にならざるをえないのは、一つにはその全体性によってつなぎとめられるべきモノやコトが流動的だからだ。

p.232
ぼくたちは対象それぞれのバラバラさ、対象とする項目の範囲のバラバラは、不測の事態によるバラバラさのなかで生きているのだ。そんな現実のなかで、全体性を措定する。それは当然、そうしたバラバラでしかない現実に対して「閉じる」ことを意味する。

p.234
全体性が高い完成度で実現されればされるほど、それは現実のなかでより排他的に働く。それを開くために、仮設にとどめられた全体性をつくる。つまり、バラバラなモノとコトを、鋳型に入れて矯正するようなことをしないで、そのバラバラさを生かしたまま、またその後の未確定も含めて包括できるような全体性をつくる。

p.256
土壌のデザインが建築になる世代
建築はもう建築によって意味づけられず、建築から切断されたそれぞれの建築が、そのまわりとそれぞれの関係から自らを意味づけようとしている。

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