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「経営におけるクソジーコ問題」という古典

最近の若者は知らないのかもしれないが(謎マウント)、「経営におけるクソジーコ問題とは」というスタートアップ界隈では有名な古典がある。現heyの佐藤裕介氏の2014年の著だ。(ポストされたstorys.jpはその後Coincheckになった、という点でも面白い日本インターネット史の一角である)

なお、「森保タックル問題」という最新アプデは聞いたことがない。ザッケローニのこともたまには思い出してあげてほしい。
(注:筆者個人は、Jリーグ創成期からジーコ氏には憧れとその後の常勝軍団を作った敬意を持ちながら育ってきた。実際に監督時にフリーキック蹴っていたタイプとも思っておらず、あくまでイメージのわかりやすさからフィクションとして引用します)


少し前、20代のチームメンバーから、「赤川さんはクソジーコなのではないか」という提起が営業会議内で出たらしく(プロダクトはCPOに権限委譲しているが営業組織は直接見ている)、「え~なにそれ~」というのも含め、大いに盛り上がったらしい。


(言い出したらしい20代のU美とK田は、なぜ本件を知っていたのかは謎である。確かに両名とも年齢以上に老成感はあるが、本当に年齢なども詐称しているのかもしれない)


懐かしいな~と思いながらひさびさに読み進めると、徐々に私の顔は青ざめていった。なるほどまさしく私は紛うことなきクソジーコだった。

(引用)

選手はチャンスでフリーキックを蹴る機会がないので、そこで重圧を跳ね除けて意思決定をして、そして失敗したり成功したりする経験を得ることができません。それだけでなく、クソジーコがどうせ全速力でベンチから走ってくるなら、フリーキックの練習なんて真面目にやるのが馬鹿らしい。そう考えてしまっても不思議ではありません。
さらに、監督本人も「いざとなれば自分が蹴りにいってやる!」と思っている間は、真剣に自分のビジョン、理想、そしてそれを何故やるのか、なんてことを伝えられないと思います。どんなことがあっても自分はピッチに立つことはできないんだと思い込まないと、全力で選手とコミュニケーションすることはできません。

「決して指摘が間違っているわけではなくても、指摘が多い・早い」
マクロで保持する情報が多いリーダーの瞬発が、現場のミクロ・細部からだけ見える文脈をすっとばすときに、組織の活力を奪う。正論の暴力化。
あるあるすぎて深く反省した。


その後、注意して営業チームではバックアップ・チアアップに努めた。
とある会議で、責任感の強いU美は「赤川さん、さっきの会議のあの指摘、完全にジーコが蹴ってました。あれは、答えわかってても現場に言わせた方がいいっす」と指摘をくれた。なるほど正しい。迷監督に名コーチあり。而して粛々と努力を続けた。

するとどうだろう。
翌月のチーム内の振り返り会議(私不在)の議事録に「赤川さん、クソジーコじゃなくなってきてる感」とあるではないか。私はひそかにほくそ笑んだ。(*経営者は他人が思った以上に社内で褒められない役職なので、これをお読みの諸氏はぜひ、自社の社長を見つけたらたまには雑に褒めてやってほしい。あくまでたまに、で良い。)


私のほくそ笑みは私事なのでどうでもよいとして、メンバーの努力で、営業組織全体の空気もどんどん良くなってきているようだ。今週はプチ合宿で戦略の確認とメンバー間のわかりあいを図ったらしい。なかなか典型的な営業飲み会的なことがやりづらいご時世だが、野外環境とソーシャルディスタンスを自主プロデュースして久方ぶりにワイワイと飲んでいた。

若さと熱情が、営業組織らしい良い勢いとして各所に跳ね飛んでいく流れならとても良い。金曜には、今週別件ではミスが出て少々落ち込んでいたK暮という男が起死回生の見事な一手を放ち、ヒーローになってチームでワイワイと盛り上がる達成確定報告をとても楽しく聞いた。ドラマも組織をまた強くする。


生来の癖というのはなかなかぬぐえるものではなく、私個人はまだまだ監督としての介入ミス・失態は多くある。「ひとりでできた!」は経営においては悪手だ。仲間を信頼して、弱点を自覚して組織運営をやっていきたい。

共同創業者のまおさんに今年「赤川さんは、実は結構変われるタイプなんすよ」と紹介されたことがあり、負けず嫌いな私はそれを現実にしてドヤるのもひとつのモチベーションに今日も七転八倒している。「実は」というのがギャップみがあって良いではないか。

監督的には、今日も次のネイマールを探して採用などをがんばる次第である。

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