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コロナと孤独・分断の時代の「居場所」を考える -「悲しみとともにどう生きるか」

ミラティブ代表の赤川です。2020年にいちばん心を揺さぶられた本と「居場所」の話を書いて、今年のnoteを終えたい。
「悲しみとともにどう生きるか」

「世田谷事件」でかけがえのない家族を暴力によって失った編者の入江杏さんが、毎年クリスマスに行っているコミュニティでの分かち合いの様子を収めた本だ。作家の平野啓一郎さんや哲学者の若松英輔さんなど、6名との対話が収められている。

誰しもがそれぞれの中で切実に持っている死別や離別の「悲しみ」にどう向き合うか六者六様のまなざしが共有されている。そのまなざしは、異なった視点から、不思議な連関を帯びている。コロナを経た2020年的な時代性と、それを超えた普遍性を持って。


究極的には、喪失した本人が、咀嚼しながら語りながら、なんとか向き合っていくことでしか、悲しみからの「回復」は訪れないのかもしれない。
ならば、悲しみを光に変えるために個人は、他人は、何ができるのか。
悲しみから、何を得られるか
・得てきたのか。

それを、当事者たちの語る物語や文学・哲学から、自分自身の胸に深く吸い込んでいくような、そんな本だ。

周囲の人間は、そこに「居る」「在る」だけでも時には救いになりうる。
社会の中でそんな「居場所」を作っていくための手がかりの数々。
相手の悲しみを真には理解できなくても、共通項を見出し、そこから対話を始めること。
それぞれの切実な願いを尊重して、つなぐこと。
そして、誰もが、誰にも遠慮することなく幸せになってよいんだよ、と綴られている。


「わかりあう願いをつなごう」
というミッションを掲げて、オンラインで居場所を作るコミュニケーションの会社の代表として、深い共感と学びがある一冊だった。
自分の悲しみ・自分の物語・不在の人の顔もまた思い浮かべながら、何度も涙ぐみながら読んだ。

読みやすい対話型の新書なので拙文より先に手にとってもらって少しでもわかりあえると嬉しいが、いくつか各章の強い言葉を紹介しておく。

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柳田邦男さん"「ゆるやかなつながり」が生き直す力を与える"経験・体験がふとした瞬間に昇華されて、自分の歴史を肯定するように深く刺さってくるあの瞬間の言語化。思わず「星の王子さま」を読み直した。

気づきというのは、ただ楽しみとして文学あるいは童話を読んでいるだけでは訪れないものです。自分の中に切羽詰まったものがあり、その実体験と重なるものがあって、実感的に迫ってくるものがあると、体が揺さぶられるような感じで、全身でわかるものがある。
人間が生きる上でそういう経験があると、それをきっかけに人生が変わっていく。自分が消滅していくような感覚でいたところから、生きるのを支えてもらえるという感覚が全身に染み渡り始める


若松英輔さん。
人間は闇にて光の存在を最も感じられるのだから、悲しみにこそまた光があるのではないか、という訓話。「悲しむ人は幸いである(マタイによる福音書)」。
There is a light that never goes out

私たちが人生に何かを期待するのではなくて、人生が私たちに何を期待するかが問題なのだということを学び、絶望している人間に伝えなければいけない。(フランクルの引用)
生きていて申し訳ないなんて思う必要はなくて、誰に遠慮することなく、どこまでも、どこまでも、幸せになっていいんです。
自分が他者に何を与えられるかを人はほとんど知らないのだと思います。


星野智幸さん。メディアの時代・SNSの時代に個人に沈黙を強いるメカニズムを語り、その中で個々人の物語が果たせる役割について。

他人の目を考えずに、自分の無意識にまで潜って言葉を発するには、勇気がいります。簡単には言葉にならないこともあるでしょう。けれど、根気強く、それらを言語化してみることは、自分が自分を認めることの第一歩だと思います。
時に暴力的に作用する「大きな物語」や「マジョリティの声」に対抗するには、ただひたすらに個人の言葉を探し続けることが必要なのではないかと思います。個人の言葉自体、関係性の中から生まれてきます。

東畑開人さん。居場所の語源をたどり、「居る」ということそのものが救いになりうること、そして居場所と人間の原理を掛け合わせると、どうしても居場所は移ろいうる、ということについて。あと、妻を「ケア」するなら話聞くより皿洗え、つまり半端な共感よりも相手のニーズにこたえて相手のジョブを解決しろ、とも笑。

居場所の語源をたどると、古代の用語では「居どころ」といい、この居どころというのは「尻」という意味もあり、「おいど」とも言ったらしいです。つまり、居どころというのは、そもそもおしりをつけていられる場所、座っていられる場所を意味したそうです。(中略)なぜ尻なのかというと、尻って弱点なんですね。ボノボなんかは、険悪なムードになってくると、お尻とお尻をこすり合わせる。一番弱点のところをすり合わせることで和解しようとする。だから、居場所というのは、弱点を預けることができる場所のことです。
居場所の存続が難しいのは、自分たちでそれを壊してしまうということがあるからです。(会計的な効率性などの)僕らが透明性を求めた結果、世界はアサイラム(収容所)だらけになっていってしまう。
グリーフケアを学ぶと、自分の物語を自分でつくり、向き合っていかない限りは回復にはたどり着けないということもわかるんです。

平野啓一郎さん。人は一人の人間の中に様々な属性を持っているよね、という「分人」概念から、共通項を探し、理解できないことを理解しようと努める姿勢から何かを分かち合っていけるのではないか、という提起。わかりあう願いをつなごう。

他者を理解するというのは、自分が決して理解できないことを理解しようと努めることではないでしょうか。
一人の人間は複雑な属性を備えている。そうすると、死刑制度を支持するかどうかというような一つのトピックに関しては対立する部分があるけど、音楽の話をすると、「俺もあのバンド好きなんだよ」と共感する部分があったり、「実は北九州出身で、俺もあの先生に習ったんだ」と、複数体複数の属性を照らし合わせると、どこかにコミュニケーションの可能性を見出しうる。
ハンナ・アーレントは「人間の条件」という著作の中で、赦しと罰というのはまるで正反対のことのように思われるけれど、何かを終わらせるという意味でいえば、実は同じ機能を果たしているという趣旨のことを述べています。
人間には生まれながらにして(人権という)権利があるという話は、フィクションといえばフィクションですけど、それをたくましい努力で守り抜こうとする思想は、偉大です。

以上引用終わり。


世界も、個人も、コロナ下で大変な2020年だった。

世界中で分断がどんどんと加速していく。Black Lives Matter、大統領選、この国でも起こる露骨な差別、増える自殺、届かない当事者の声。分断と分断と分断と分断。世の問題は形を変えて身近な場所でも起こる。

以下は本の話を超えて自分語りだが、経営者として身近な社員やユーザーに向き合いながらも、自分たちのやっていることなんてちっぽけすぎて、まるで世の中に貢献できていないのではないか、という虚無感に襲われそうなこともあった。


そんな中で自分を救ってくれたものが2つある。1つは実際にユーザーが家からミラティブで誰かとつながって、確かに救われていく様子を直接目にすること。リアルな現実と違うコミュニティがあることで現実と折り合っていける、ということがサービス上で証明されていた。


誰もが大変だった2020年。特に強く感じたことは、人は物語を語ることそのもので救われている、ということだ。
誰かに届いてほしい切実な気持ちが、(届くことがもちろんベターなのだが、)届くと信じられる場所で物語ることそのものでも救われるということ。祈ることそのものが、意味を持つように。

この本にも「自分が発する言葉を最も近くで聞いているのは自分」という表現がある。
同じように、事業をやることそれ自体で、顧客に喜びを与えながら、事業者である自分たちも救われているのだ、と何度も感じる瞬間があった
ユーザーの皆さま、もし読んでくれていたら本当にありがとうございます。


もう1つは、自社のミッション「わかりあう願いをつなごう」と仲間の存在。今年、迫りくる現実の課題の中で、時には一部の思想を変えながら、捨てるものを捨てて、会社としては次のステージに向かった。

他の何をゆずってもゆずれないものはミッションだとも確認できたし、それはこれからも変わらない。
そして、結果的に変化はとてもうまくいったが、それは変化に順応しながらユーザーに向き合い続けてくれたすばらしい仲間の存在あってこそだった。


1年の締め会で、この大変な2020年に事業が順調に在ることについて仲間に感謝を伝えながら、改めて自分たちのミッションの意義と今の社会でいかに居場所が必要かを語り、少々感極まった。
孤独と分断は今も2021年も根深い社会問題として、何より個々人の切実な問題として、すぐそこに横たわっている。

その中で、「わかりあう願いをつなごう」という意志を自分たちが掲げられていること、その旗にたくさんの仲間が集ってきてくれていることそれ自体に自分自身は救われているのだな、と実感した。
そして意志や感謝を口に出すたびに、物語はまた連鎖していくのだな、と思った。

この世の中で、今そこにある切実な絶望には、安易に理解できるなんて言えないし、自分たちにできることは決して多くはないのかもしれない。それでも、ただそこに「在る」ことで、物語る場やつながる場になって小さな救いが連鎖していくような、そんな「居場所」をミラティブでは提供しつづけていきたいと思う。

2021年もがんばります。

*このnoteはフィッシュマンズ「宇宙・日本・世田谷」を聞きながら書いて、そうか世田谷事件の本だもんな、とあとから気づかされた。喪失は未来へ、創作は永遠へ、円を描くように続いている。Rest In Peace。

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*2021年も、当社ではミッションに共感する仲間を求めています。これを読んでいるあなたとも、どこかで仕事ができると良いですね。良いお年を!


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