7日に1度の。

これから毎週月曜日、私は何を思ってコンビニに行き、週刊少年ジャンプを買ったらいいのか。

連載終了になったジャンプを買って急に実感がわいてきた。行きも帰りも私の頭の中はアクタージュのことばっかりなのに、手にした本誌には目当てのものはない。

思えば、アクタージュという作品は読み切りのときから好きだった。別に映画が好きなわけじゃなかったし、演技について詳しかったわけでもなかった私をずっと魅了し続けてくれていた。

作中で黒山監督がこんなことを言っていた。

”しまいまでやれねぇなら 手出してんじゃねぇようちの役者に”

そっくりそのままお返ししたいなと思う。
私の好きだったアクタージュを返してほしい。

なんの冗談かと思った事件から2週間以上たった。この事件は世間や一般の読者からは忘れられていくものなのだと思う。でも被害にあわれた方はこれからもちょっとしたことでもフラッシュバックして事件を思い出すだろう。

性犯罪は許されたものじゃない。だから、私はアクタージュの復活を望むことはできないし、望まない。そして、そう在らなければならない。

好きな作品を応援できなくなる。応援したくなくなる気持ちに喜怒哀楽をつけるなら”怒”なんだろう。

この拙い想いの込めさせてもらった文章は”怒”でいっぱいになっている。

怒り怒って、また怒る。その繰り返しだ。

私がこんなにアクタージュを好きだったことを知らない父がニュースに向かってこう言った。

”こんな奴の描く作品なんて大して面白くないだろ”

違うよ。この作品は面白いんだよ。って言いたかった。本当に言いたかった。言えたら良かった。

アクタージュはなくなった。13巻は未来永劫ないし、大河ドラマはずっと撮影が始まらない。黒山さんの映画はもう作られることはない。夜凪景の成長は止まったし、新しい百城千世子が見れることはもうない。

作品の中にいる人物の未来はなくなり、作画担当である宇佐崎先生の作品は1つ無に帰した。


虚しさや悲しさ、怒りが満ちる月曜の午後。
数々のファンに愛された作品は一人の無責任な行動によって消え去ってしまった。

また来週私は300円を握りしめて、不要不急の買い物に行く。そこには求めていた作品が1つない。
そのたびに私はきっと思い出す。アクタージュという作品があったことを悪い意味で思い出す。

”この怒り、どうしてくれよう”

作中、最後の作品である羅刹女からこの言葉を抜粋してこの拙い文章をここまで読んでくれた感謝とともに終わりたい。

被害にあわれた方がこれからの人生を幸せに暮らしていけること、宇佐崎先生がアクタージュなんか目じゃない作品を生み出せることを心の底から祈っています。

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