都市の緑は権力者が守ってきた
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書籍「日本史の謎は「地形」で解ける」(竹村公太郎)
文明や歴史の謎を地形(と言うか土木的な視点)で読み解く著者の書籍については、これまでも何回かここで紹介してきた。歴史解釈の王道的な立場からはトンデモ本とみられるものもあるだろうが、一連の著作は私のような土木工学や社会資本について浅薄な知識を持つ者にとってはそれなりに説得力がある。本書の各章もそれぞれ面白かったが、中でも「なぜ大阪には緑の空間が少ないか」の章が興味深かい。
結論から言えば、大阪は庶民の街だから、ということになる。自由都市・堺に代表されるように大阪は資本経済が緑を吞み込んでいったというのである。逆に強権的な権力者の居る街、あるいは近代まで居た街には、大きな緑が残っている。テヘランしかり、北京しかり、東京がしかり。古今東西、都市の緑は権力者がその力で保全または造営してきたのだという。卓見だと思う。
このことは、民主主義社会と資本主義経済の下では、放っておけば緑の消失は必然ということを示唆している。それを避けるには、緑をコモンズ(社会の富)として、その位置づけを明確にするしかない。コモンズは本来、その恩恵を受ける人たちの共有地だが、現代の社会システムにあっては例えばニューヨークのセントラルパークのように公有地として行政が維持管理することになろう。当然、その費用は税金によって賄われることになる。
そのことを踏まえて今一度、神宮外苑の再開発について考えたい。まず神宮外苑は明治神宮という宗教法人が持つ民有地だということに留意せねばならない。あれが公有地であれば、私も「そこの緑は公有財産なのだから、伐採なんてとんでもない」と言うだろうし、言う権利がある。しかし残念。あそこは他人様の土地なのだ。その他人様が法の許す範囲で行うことに対し、第三者が「僕の思い出を壊すな」と言うことにどれだけ正当性があるだろうか。
どうしても現況のまま残したいとするのなら、公有地とすべく税金を投入して買い戻すべきだ(もとは国有地だった)。そのうえで保全していくしかないだろう(実際には明治神宮に譲渡された経緯やそれに伴う神宮の運営問題があってそうもいかないようだが、ひとまずそれは置いておく)。しかし、その税徴収に北海道や沖縄の人たちは合意するだろうか? 東京都に限ったところで、奥多摩や伊豆諸島・小笠原諸島の人たちはアグリーか?(どこも周囲は緑で一杯だ。)
現在、「反対だ、反対だ」と声高に叫んでいる人たちは皆、自分の懐は痛まないと思っているようにみえてならない。しかし民主主義社会・資本主義経済の下で、民有地の緑の消失に抗うには相応の費用負担がマストなのである。
まさか、強権的権力者が現れるのを望むわけではあるまい。
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