故安倍晋三の国葬儀の違憲性・違法性<財政民主主義の観点から>
この記事では故安倍晋三の「国葬儀」の実施の違憲性・違法性について、財政民主主義の観点に絞って書いておきました。
しかし故安倍晋三の「国葬儀」に関しては、この他にも
そもそも「国葬儀」というものの定義も目的も法的根拠も国民の合意も何も存在していない
内閣には「国葬儀」の実施を決定する権限はそもそもない(内閣府設置法を根拠にしているが、それは法を曲解している)
日本国憲法第19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」に触れる可能性がある
故安倍晋三の総理大臣としての功罪の評価が十分になされていない
故安倍晋三の人格面においても大変に疑義がある
そもそも国葬は民主主義と相容れない
など、とても多くの問題があることも、念のため予め記しておきます。
憲法第83条・憲法第85条に違反
政府は閣議で故安倍晋三の国葬儀に国費を支出することを決めた。国会の議決を経ないで国費の支出を決めたことは憲法第83条および憲法第85条に違反する。
憲法87条と財政法24条を誤用
政府は閣議で故安倍晋三の国葬儀に一般予備費から支出することを決めた。しかし予備費の支出は「予見し難い予算の不足に充てるため」に限定されている。この意を正しく汲めば、予備費の使用は以下の要件が全て満たされる場合に限るべきだ。
予算成立時に予見できなかった事情が発生(予見不可能性)
国費支出が必要となった(必要性)
補正予算によっても対応できない(補充性)
予算による議決を受ける間がない(緊急性)
安倍晋三が死亡したことは予見できなかった事情だが、それが即、「国葬儀」への支出が緊急的に必要となるということには結びつかない。安倍晋三の死亡そのものが自動的に国費支出の「事情」とはなり得ないからだ。もし安倍晋三の死亡を端緒として「国葬儀」なる新たな儀式の創出と実施を国が新たに計画しようとするのならば、それについて予算成立時に予見できなかったから予見し難い予算の不足であると主張することはできない。
そして「国葬儀」というものに定義が無く、それを国が実施すること自体に法的根拠が無いのだから、最初から「必要性」は満たしていない。
もし必要性があるのだとするのならば臨時国会でその必要性を審議し、補正予算で項を新設するなどして対応するべきだが、野党が要求した臨時国会の召集を政府・与党は拒んでいる。これも憲法第53条に違反している。
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