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猫の目は闇を欲する もしくはポーの命日に寄せて

 「明快なる光」と「混沌たる闇」という対立軸が世界には存在する。古典主義者は前者を、浪漫主義者は後者をそれぞれ自らの拠点とした。理性を重んじる古典主義者にとって、万象を視覚情報に変換してくれる「光」はまさしく叡智の象徴だったのである。
 しかし、本当に明快さは光だけの性質なのだろうか。「明快なる闇」というものは存在し得ないのだろうか。
 カラヴァッジオやレンブラントは自らの絵の中で闇を効果的に多用している。彼らの闇は非常に暗いが、混沌とはしていない。むしろ彼らは闇を存在させることによって絵画世界を一つの秩序の元にまとめ上げている。彼らは闇の明快さを理解していたのだ。

レンブラント『富豪の寓話』

 文学者にも、カラヴァッジオやレンブラントのような「闇の使い手」は存在する。エドガー・アラン・ポーがその代表だ。
 世界最初の推理小説と評されるポーの『モルグ街の殺人』。あの中で語り手は、探偵デュパンの奇妙な嗜好を紹介している。

夜そのもののために夜を溺愛するというのが、私の友の気まぐれな好み(というよりほかに何と言えよう?)であった。(中略)ほのぼのと夜が明けかかると、我々はその古い建物の重々しい鎧戸をみんなしめてしまい、強い香りの入った、無気味にほんのかすかな光を放つだけの蝋燭を二本だけともす。その光で二人は読んだり、書いたり、話したりして――夢想にふけり、時計がほんとうの暗黒の来たことを知らせるまでそうしている。それから一緒に街へ出かけ、昼間の話を続けたり、夜更けるまで遠く歩きまわったりして、にぎやかな都会の奇しき光と影とのあいだに、静かな観察が与えてくれる、無限の精神的興奮を求めるのであった。

デュパンは本質的に夜の人間、闇の人間なのだ。しかし彼の思考に混沌としたところは少しも見られない。むしろ彼は明晰な理性の代表のような人物である。
 なぜデュパンは「闇」の住人でありながら名探偵たり得たのだろうか。これを理解するためには、そもそも「光」と「闇」が近代においてどのような意味を持っているのか、ということを考える必要がある。
 古典主義の「光」。浪漫主義の「闇」。これらはそれぞれ「客観」と「主観」に対応している。科学者は光が照らし得る世界のみを観測・研究する。人間精神の内奥のような「光の照らし得ぬ世界」に科学が入り込むことは出来ない。
 ポーの『盗まれた手紙』には両者の対立が簡潔に描かれている。
 光の世界の住人である警視総監Gは、D大臣が盗み持っている手紙を取り返すために「科学的な」手法を用いた。彼は部下を引き連れ、大臣の屋敷の中身を事細かに調査したのである。

邸じゅうのあらゆる椅子の桟、それから実際あらゆる種類の家具の接目を、非常に強度の拡大鏡を使って調べたんです。近ごろ手をつけたような跡が少しでもあれば、すぐに我々の眼につかないはずはない。たとえば、錐くずの一粒でも、林檎みたいにはっきりしたでしょうよ。膠づけが少しでも変だったり――接目が少しでも普通以上に開いていたり――すれば、それだけで十分に見破られたでしょう(警視総監Gの発言より)

警視総監Gの綿密で客観的な方法論はまさしく人体解剖に類似している。

レンブラント『解剖』

 しかし、警視総監Gには手紙を見つけ出すことが出来なかった。それは彼がどこまでも「光の照らし得る世界」のみを問題としていたからである。屋敷の戸棚、椅子、テーブル、煉瓦……これらは全て「光の照らし得る世界」に属している。一方、大臣Dを含めた人間の心理はそのような世界の外側に存在している。そして大臣Dはそのような二つの世界の両方について優れた知性を有していた。

「だが詩人というのはほんとうかね?」と私は尋ねた。「兄弟が二人あるということは聞いているし、二人とも文名はある。だが、たしかあの大臣のほうは微分学についてかなり博学な著述があったと思うよ。あの男は数学者であって、詩人じゃあないよ」
「いや、違うよ。僕はあの男をよく知っている。彼はその両方なんだ。詩人兼数学者なればこそ、彼はよく推理するのだ。単なる数学者にすぎなかったら、彼は推理なんぞはちっともできなくて、総監の思うままになったろう」

光の領分である数学、闇の領分である詩。両方に秀でていたからこそ、D大臣は警視総監Gの捜査の手をかいくぐることが出来たのである。
 しかし彼もデュパンの推理から逃れることは出来なかった。普段から闇の中で生活しているデュパンは、闇(人間の主観的な心理)の持つ明快な秩序を弁えていたのだ。それゆえ彼はD大臣から手紙を奪い返すことに成功したのである。
 明日10月7日はポーの命日である。彼は、闇の中で輝く、まさに黒猫の目のような精神を持っていた。今の我々にも、光の照らし得ぬ世界を洞察する彼のような知性が必要とされているのかもしれない。


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