「じゃがいも」のお寺話22 初転法輪
人が無我であるとしたらアートマンはないはずです。では人はどのような構成要素で成立しているのか。説明したのが五蘊とされます。
五蘊は色、受、想、行、識の5つと言われます。お釈迦様の時代から大乗仏教まで仏教が発展する中で五蘊の解釈は様々に変わったと聞きますし理解するのが難しいとも聞きますが、お釈迦様の時代の説明は概ね以下ではないでしょうか。
色:感覚器官に訴える要素のことで、光、音、匂い、味、温度、圧力などを指します。目で見て触ることができる物質を概ね色といいますが、形がない音や匂いや味なども色に含みます。
受:感覚器官を通して感じた反応のことを指します。楽しい、嬉しい、苦しい、辛いという良し悪しの反射的な感覚を言っているようです。
想:感覚器官を通して得た情報で予測変換したり再構築したりすることを指します。暗闇の木が人に見えたりすることを言っているようです。
行:感覚器官を通して感じたことに反応して活動を起こすことを指します。意欲や意志がないと活動を起こせないので、意欲を含めた行動を言っているようです。
識:感覚器官を通して感じたことを内側に映し出す作用指します。
色だけは外の要素、色以外の受、想、行、識は内の要素で大きく分かれますが、色も含めて人は5つの要素でできあがっているとするのが五蘊の思想です。
だからどうした。という感じの話ですが、無我の詳細説明と理解すれば良いと思っています。この五蘊には主従がなく各々独立して関係し合っています。人が五蘊の要素で構成されているのであれば、アートマンつまりは我と呼べるようなものはどこにも存在しないことになります。
色には形ある見て触れるものも含まれますが人が無我であるのと全く同じで、形ある見て触れる目の前のもの無我であるはずです。そうすると色に含まれる形の無い音や匂いなど全ては無我であり実体などないと考えないとつじつまが合わなくなります。色だけではなく五蘊全ては無我であると言う結論になります。全ては無我であり実体と呼べるようなものはないので諸法無我と言います。
有名なお経である般若心経にも五蘊は出てきます。