おうし座のひと

『おうし座のひと』徳田 公華

【登場人物】
高梨 典之(たかなし のりゆき・62)     定年まで教員を勤めていた。

森川 紗南(もりかわ さな・28)       婚約者を事故で失う。

高梨 裕子(たかなし ゆうこ・56)      高梨の妻

山田(やまだ・54)            紗南の勤める会社の上司
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◯待合室(昼)

    高梨 典之(63)が一人座っている。
    コンビニの袋からガサガサとお酒を出す。
    そこへ通りかかる森川 紗南(28)。
    目が合う、紗南と高梨。
高梨「……」
紗南「……」
     ×     ×     ×
    隣同士に座っている紗南と高梨。
紗南「ここ、よく来るんですか?」
高梨「昔、よくここで待ち合わせしてな」
紗南「奥さん?」
高梨「あぁ」

◯高梨家・中(昼・回想)
    冷蔵庫を開けると作り置きのポテトサラダが
    ボウルに入ってラップしてある。
    匂いを嗅ぎ、顔を歪める高梨。
    ポテトサラダをそっと捨てる。
高梨「……」
  
◯元の場所
高梨「仕事はどうした?」
紗南「休み、取りました」
高梨「ふぅん」

◯オフィス(朝・回想)
    朝礼、中年の男性社員・山田が話している。
    隣には紗南がいる。 
山田「もしかしたら知っている方もいるかもしれ
 ませんが。まぁ、訳あって森川くんが戻って来
 ることになってですね」
   (フラッシュ)
女1「え、なんで?」
     ×     ×     ×
女2「寿退社するって言ってたよね?」
     ×     ×     ×
女3「うまくいかなかったんじゃない?」
     ×     ×     ×
山田「まぁ、そうゆうことでね。みなさん、よろ
 しくどうぞ」
    感情を静かに押し殺したまま、
    お辞儀をする紗南。
紗南「……」

◯元の場所
高梨「……これ飲むか?」
    ビニール袋の中からお酒を差し出す高梨。
紗南「ありがとうございます」
    小さく乾杯をする二人。
     ×     ×     ×
紗南「当たり前がそうじゃなくなる瞬間って
 わかります?」
高梨「……」

◯森川家・中(夕方・回想)
    疲れ切った様子で、座り込んでいる紗南。 
    目線の先には、楽しそうに写る紗南と
    婚約者との写真が飾られている。
紗南「……」
    おもむろに立ち上がり、
    錠剤が入った瓶から錠剤を大量に出し、
    飲み込もうとする。

◯元の場所
紗南「それでも日常は変わらないんです」
高梨「……」

◯森川家・中(時間経過・回想)
    流し台で激しく咳き込む紗南。
    しばらくして落ち着くが、流し台に響く紗南の泣き声。   
紗南「……」

◯元の場所
紗南「変なこと言って、すみません」
高梨「……時間が進まないんだよな」
紗南「え?」
高梨「必死に前向いて歩こうとするんだけど、どうしても自分だけ止まってる」
紗南「……」

◯高梨家・中(昼・回想)
    洋服にアイロンをかけている高梨。
    しかし思うようにアイロンもかけられず、
    諦めて畳もうとするがそれすらも上手くいかない高梨。
高梨「(ため息)」
    目線の先には飲みかけのウィスキーの瓶。

◯高梨家・中(夕方・回想)
    洗濯物も散らかったままの部屋。
    ぎこちない様子で酒を飲む高梨。
高梨「……」

◯元の場所
高梨「うん、止まったままだ」
紗南「……」
高梨「……泣いても何も変わらない」
紗南「わかってる」
高梨「どれだけ泣いても、誰にも届かない」
紗南「それもわかってる」
高梨「じゃあ、泣くな」
紗南「泣いてません」
高梨「泣いてるだろ」
紗南「だから、泣いてないってば」
高梨「……星座は牡牛座か?」
紗南「え」
    少しの間。
紗南「どうゆうこと……ですか?」
高梨「泣き方がな」
紗南「泣き方で分かるんですか?」
高梨「おう」
紗南「……」
高梨「……で、牡牛座か?」
紗南「はい」
    少し満足そうな高梨の表情。
高梨「牡牛座は、誰かを信用するのにも許すのに
 も時間がかかるんだ。なんでかって言ったら
 な」
紗南「……」
高梨「心から人を愛せる。そしてその人をと
 ことん愛し続けることが出来るからだ」
紗南「……」
高梨「牡牛座の神話を読んでみろ。面白いぞ。
 美しい娘に少しでも近付こうと、ゼウスが白い
 牛に姿を変えるんだ」
紗南「ゼウスって一番偉い人?」
高梨「そうだ。ギリシャ神話の中で全知全能を司
 る神。一撃で全宇宙を破壊できる力を持って
 る」
紗南「そんなに強いのにわざわざ牛に?」
高梨「白く透き通る様な角に、その娘はつい心を許しちゃうわけだ」
紗南「あぁ」
高梨「お姉ちゃんに何があったかは知らない」
紗南「……」
高梨「でも、時間をかけて愛したものなら時間を
 かけて許してあげればいいんじゃないか?」
紗南「……」

◯待合室(夕方)
    古い写真を一枚眺めている高梨。
    そこには若き日の高梨と高梨の妻。
    オレンジ色に照らされる横顔。
高梨「……偉そうに言っちまったなァ」

◯実景
    夕日が沈み、夜になる。
    そして朝が来る。

◯待合室(翌日)
    高梨が座っている。
    そこへ紗南がやってくる。
紗南「おじさん」
高梨「また来たのか」
紗南「どうせ暇だから」
高梨「そうか」
     ×     ×     ×
紗南「おじさんは幸せ?」
高梨「……んなことは、死ぬ時までわからないもん
 だと思うぞ」
紗南「そうか」
高梨「生きてる間に満足しちまったら、何の為に
 生きる?」
紗南「さぁ」
高梨「あなたの為に一生懸命生きてきたので、
 これからは自分の為に生きますってな」
紗南「え?」
高梨「そう言って、あいつは出て行った」
紗南「……奥さん?」
高梨「あぁ」
紗南「……」
高梨「どんな状況であれ、進むか止まるかの
 繰り返しだと思うぞ、人生ってのは」
紗南「進むか止まるか」
高梨「だってよ、戻ることは出来ないだろ?」
紗南「……うん」
高梨「だから自分で選ぶしかないんだよ。進むか
 止まるか」
紗南「……おじさん、先生みたい」
高梨「そうか?」
紗南「うん。高校の時の保健室、思い出した」
高梨「……あいにく教科は社会だけどな」
紗南「あ、本当に先生だったの」
高梨「あぁ」
紗南「……おじさんもさ、いつか死んじゃった時に
 『あぁ、いい人生だった』って笑えるといい
 ね」
高梨「ふっ」
紗南「そしたら、向こうで人生についてまた話そ
 うよ」
高梨「縁起でもないこと言うな」
    クスクスと笑い合う二人。
紗南「……私も進んでみようかな。本当に進めるか
 は分からないけど」
高梨「きっと気付いた時には、ちゃんと進めてい
 るさ」
紗南「(頷く)」
    少しの間。
紗南「よしっ」
    紗南、立ち上がる。
高梨「行くのか」
紗南「うん」
高梨「……ありがとうな」
紗南「……おじさん、牡牛座でしょ?」
高梨「ん?」
紗南「笑い方が牡牛座っぽいかも」
高梨「牡牛座らしい笑い方か、面白いな」
紗南「またね」
高梨「おう」
紗南「……エウロペはきっと見てると思うよ」
    紗南の背中をそっと見送る高梨。
    紗南は振り返らずにまっすぐ歩いていく。

◯高梨家・家の前(夕方)
    よたよたと帰ってくる高梨。
    足が止まる。
    玄関の前に妻の裕子(56)が居る。
裕子「……戻りました」
高梨「……」
裕子「飲めもしないお酒を飲んだり、若い女の子
 とお喋りしてみたり楽しそうね」
高梨「いや、それはその……」
裕子「やっぱり私はあなたの為に生きるのが
 一番合ってるみたい」
高梨「……いつもありがとう」
裕子「……」
高梨「それから」
裕子「?」
高梨「誕生日、おめでとう」
    微笑む裕子と照れくさそうな高梨。
    桜の花がいっぱいに咲いている。

◯交差点(朝)
    交差点を目の前に大きく深呼吸をする紗南。
紗南「……」
    ゆっくりと歩き出す。  
     ×     ×     ×
    交差点に花束が手向けられている。
 
                 〈了〉
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あとがき
家族や友人ではなく、他人だとしても
その誰かがかけてくれた言葉にホッとしたり
勇気付けられることがあるよなあと。

優しい時間が流れるような作品に
なっていたらいいなあと。

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