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自分の読書について

毎日一行でもいいから、いい本に触れたいと志して12〜3年が経ちます。

この世は波長でできていて、波長の合うものと共鳴する。自分の中にいいものが蓄積されていればそれだけいいもの・人と共鳴できる。いいものというのは、歴史的淘汰を受けた、真理に根ざすもの。なぜそういう本を読みたいと思ったかというと、その頃大失恋をし、もうこの世で生きている意味が見出せなくて、ボロボロになって、この世は自分の思うようにいかないと初めて気づいたからです。それまで、どれだけ好き勝手に生きてきたのかよくわかりますね…それが24歳の頃です。歴史的淘汰を受けた名著にはこの世の真理が書かれている。ある尊敬する方がおっしゃっていた言葉を信じて、その頃から名著と呼ばれる本をかき集め、現時点で400冊から500冊にはなったのではないかと思います。でも、まだまだ、まだまだこれからも買っていくと思います。夫のマロに呆れられても、私は負けません。私は頭が良くないのと、記憶力が良くなく、本当に興味のあることしか頭に残らないので、読んでも内容がよく分からないこともたくさんあります。実の母親から、床が抜けそうなくらい本を買って読んでる割には人間ができていない!!読んでいる意味はあるのか?とか、夫のマロから、読んだ本の内容を教えてくれーーと言われて、・・・・とにかく良かった‼︎・・・としか感想を言えなくて汗をかいたりもします。

でもいいんです!私のちっぽけな感想なんてなんの意味もないのです!いい本は偉大なのだ!!それでいいのだ!!!!

心に残る言葉で、”本は墓標である”とおっしゃった方がいました。かっこいいですね。本を読むことは、対話である、とも。何百年前の偉人と対話できるのですから、本を自由に読めるご時世に生まれてきたことはとても幸せだと思います。名著に触れているととっても精神が安らぎ、人間として生まれた喜びを感じることができます。渡部昇一さんもおっしゃられていますが、良い本に触れていると、いい本かそうでないかの目利きが瞬時に出来るようになります。名著はほとんど古本となるので、日本の古本屋のサイトなどで購入したり、たまに古本屋さんを訪れたりします。本屋さんの新刊本には、読みたいと思える本はほとんどありません。なぜなら、10年、20年、もっと言えば100年後、新しく出版された本の中でどれだけの本が残っているかと考えた時、ほとんどの本が消えて無くなっているでしょう。そういう小手先の本、うそうそとしたもの、軽くてただ楽しいだけの本にはあまり興味が湧かなくなってきました。

冒頭の写真は、”愛するということ” エーリッヒ・フロム著です。こちらはツタヤで見つけて、抜群にいい波動を出していたので手に取りました!やはり良かった!エーリッヒ・フロムは1900年生まれのドイツ人。フランクフルトのユダヤ人家庭に生まれ、新フロイト派と呼ばれた方です。

愛とは、特定の人間に対する関係ではない。愛の一つの「対象」に対してではなく、世界全体に対して人がどう関わるかを決定する態度・性格の方向性のことである。もし一人の他人だけしか愛さず、他の同胞には無関心だとしたら、それは愛ではなく、共生的愛着、あるいは自己中心主義が拡大されたものにすぎない。

じっくり、じっくり考えて実践し、本当の愛のある人になりたい、そう思いました。いつもは一回読んだら本棚へ行くけれど、何度もじっくり読み返したいなぁ、と思う本でした。


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